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インタビュー

Brandon Ross

9月15日、16日、来日!


photo:Yuichi Hibi

 常にはにかんだような微笑を口元に湛え、ゆっくりとかみしめるような、しかし饒舌な話しぶりは、ミュージシャンというよりは何か宗教者のような風情である。ニューヨークのホテルで会ったブランドン・ロスは、とても物静かで知的な男だった。 ブランドン・ロスといえば、『ニュー・ムーン・ドーター』などカサンドラ・ウィルソンの一連の傑作を中心になって支えてきた黒人ギタリストとして一般的には知られていると思うが、話をきいてみると、そのキャリアは、ロフト・ジャズ以降のニューヨークの前衛シーンにおけるまさに王道と言っていい。これまで、ブッチ・モリスやヘンリー・スレッギル、オリヴァー・レイクなどのバンドで重用される傍ら、ドン・バイロン、リロイ・ジェンキンス、ビル・ラズウェル、キップ・ハンラハン、グレアム・ヘインズ、更にDJ・ロジック、キャロル・エマニュエル、アレスティッド・ディヴェロップメント等々の作品に参加してきている。レコーディング・デビューは、75年、アーチー・シェップの『There's A Trumpet In My Soul』。その時ブランドンはまだ18歳だった。

 「一曲は詩人と即興でやったんだが、その曲の最初のテイクで僕はすごい演奏ができたと思った。するとアーチーが『今のは良かった。でも、今度はG弦だけを使って演奏してみてくれない?』と言うんだ。初めてのレコーディングなのに、なんてこと言うんだって一瞬思ったけど、とにかく試してみた。そしたらその演奏がアルバムの中でもベスト・トラックとなった。僕はそこで、創造的に束縛することについて学んだんだ。最近、実感するんだけど、アメリカ文化の中で、ある種の表現については一定の評価がされてきたが、真に創造的、オリジナルな表現は、ほとんどが未だに正当に評価されてない。多数の人々に向けて市場化できないという理由で。自分の声、言語を発展させ続けるという選択は、人とは全く異なる道を選択するということだ。マイルスやオーネットのような例もあるわけだが、表現が力強くさえあれば、乗り越えることができるとは思う」

 生まれはニュージャージー。父親のキャンディー・ロスは、ベニー・カーターやカウント・ベイシー楽団などで演奏するジャズ・トロンボーン奏者で、マイルス・デイビスが在籍していた頃のディジー・ガレスピー楽団にもちょっとだけいたことがあるという。家ではジャズやモータウンなどが常に流れ、兄の影響でジミヘンやジェファースン・エアプレインなどロックもよく聴いたが、それ以上にブランドンに重要な影響を及ぼしたと思われるのが、クラシックや教会音楽である。彼は幼少時からラヴェルやドビュッシー等のフランス印象派やストラヴィンスキーが特に好きで、また、ゴスペルを歌う黒人系の教会ではなく、アングリカン系の教会の聖歌隊で、ブリンテンやパーセルなどを歌っていたという。
 
「子供の時は、シェークスピアの『真夏の夜の夢』に出てくる妖精になりかったんだ(爆笑)。英雄などではなく、神秘的な存在にとても憧れていた」というブランドンは、やがてギターを始め、ロバート・フロストやエミリー・ディッキンソンの詩に適当に曲をつけ、一日中、部屋にこもって歌うようになる。黒人ジャズをミルク代わりにしつつも、ヨーロッパ文化に耽溺し、神秘的世界に憧れながら成長していったブランドン・ロス。そんな成育環境だったからこそ、極めて型破りで実験性に富み、しかもドリーミーな音楽ばかりを創り続けてこられたのだろう。「技術ばかりを教え、表現すること、美学的なレヴェルの学習を積むことはできない」バークリー音楽院にすぐに見切りをつけて、アムハースト(ニューヨーク州立大学ノース・キャンパス)に移ったブランドンは、様々な民俗音楽も学びつつ、音楽の持つ根源的な魔術性の探求を続けていった。そして、件のシェップとの共演、更にロフト・ジャズ・シーンとの関わり、オーネット・コールマンとの出会い…と続き、今回ようやく、個人名義の初アルバムの発売にこぎつけた。

 「メジャー・レーベルはいつも、『音楽はいいけど、だから?』っていう感じだった。いい音楽だけど、こういうのはうちではね、とか、大胆な切り口の音楽だけど、もっと売れそうなもの作れない?とか」(笑)。
 
実は、ニューヨークでの取材時点(4月末)では、まだ2曲しか完成してなかったのだが、自身のヴォーカルも含むその2曲だけで、僕はこれが大変な傑作であることを確信した。

 「このアルバムでは、インプロヴィゼーションにおける特殊な音楽的書法を扱っている。即興的にアプローチする形式で、コードやスケールに基づかない、つまり音程やハーモニーを使って即興するという、とても自然な表現で、民俗音楽に由来するものだ。スキップ・スペンスがやってるようなこと、つまり“身振り(Gesture)”を使ったものなんだ。モダンな楽器を使っているんだけど、古いサウンド、空間を感じさせる響き…つまり、深さ、サイレンス、演奏についてのコンセプト、音楽と響きや音色の関係といったことを念頭に作曲した」

 リズムもコードもなく、音響空間がまるで雲のように刻一刻と流動的に形を変えてゆく、色彩感と浮遊感に富んだ実に不思議な作品である。ドビュッシーの音楽的ヴィジョンを即興的に展開したジャズ作品、といった印象を受けたりもする。少なくとも、こういう音楽を作る黒人ギタリストは、ブランドン以外にはいないだろう。
 
「ギタリストとしての自分の魅力? それはシンガーであるということだね。いつも歌っている。速弾きすることなんて考えていない。どんな音色なのか、サウンドを注意深く聴いている。大事なのは、内なる声とのつながりが聴こえているということだ」
 
85年に初めてオーネットに会った時、ブランドンは「この世界には音楽ビジネスと音楽ワールドがあるんだよ」と言われたという。以来彼は、音楽ワールドをひたすら歩み続けてきた。音楽ビジネスには限界があるが、音楽ワールドは無限大だということが彼にはわかっている。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年08月26日 15:00

更新: 2004年08月26日 17:06

ソース: 『bounce』 51号(0/0/0)

文/松山晋也