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インタビュー

般若

鮮烈な『おはよう日本』から1年、シーンを揺るがす〈問題児〉がふたたび強烈な刃を閃かせ、bounceの表紙をジャック!! 混ぜるな危険、根こそぎ般若!!


 般若のファースト・アルバム『おはよう日本』は、シーンに風穴を開けたと言えるほど凄まじいエナジーを放つアルバムだった。他に迎合しないその姿勢は〈ヒロイックなオーラ〉を纏っているようにさえ見えた。般若は厭世観を持ったりニヒルな物腰で抽象的な言葉を吐いたりはしない。ただ実直に叙情するだけなのだ。その想いがあまりに猛烈なため、時に聴き手の心に〈変革〉を起こすようだ。

「いつだっけなあ、オレのラップを聴いてラップを始めたってヤツ何人かと会ってさ。正直嬉しいですね。あと信じらんねえ!っていうのもある。なんでだろう……? ただ自分がやりたいことをマジメにやってきたからじゃないの(笑)。それにオレから音楽を取ったら何も残らないから! だからずっと頑張り続けるしかないんすよ」。

 般若が背水の陣で臨むその姿勢には独特の魅力/説得力が備わっている。だからこそその言葉は、聴き手がなにかしらのアクションを起こす原動力にもなり得るほど、リアルな響きを持つのだろう。そういう意味で、彼が〈黄色いチェ・ゲバラ〉を自任するのも頷けるというもの。そのストレートな物言いは「喜怒哀楽とか感情の細かいところまで表現することに重点を置いた」というセカンド・アルバム『根こそぎ』にも顕著に表れている。特に“サンクチュアリ”で。それにしても、例えばラテン・アメリカの解放を声高にして〈革命〉を遂行したチェ・ゲバラが若くして命を失ったように、正直な思いを行動で示すことは当然、相応のリスクを伴うのではないか?

「みんなそう言うけどね。そのへんは自分で責任を持ってやってるから。まあ、思ってることをリリックとして出すかどうかに葛藤もあるけど、素直な自分の言葉だからね。そこはこれからも変わらない」。

 さらに“サンクチュアリ”について突っ込もう。この曲で般若はいくつもの固有名詞を挙げて口撃している。なかでもBLAST誌については淡々とこう語ってくれた。

「まあ、毎月全国の書店とかで売られる雑誌よりも、オレの16小節のフリースタイルのほうが強えと思ってるから。とにかくBLASTは卒業ってことで」。

 腹を括っている、というより、その歯に衣着せぬ〈毒特〉な物言いから滲むのは自信だ。自分だけの価値基準で動ける人は強い。そういえば今作での客演は秋田犬どぶ六だけである。それも自信の表れということか?

「どぶ六がフックを歌ってくれただけで、ラップしてるのはオレひとり。それは自信っていうか、たまたまそういう時期だっただけ。いまは自分の足だけで立たないといけないのかなって。それにライヴとかでも、もしコケたら自分ひとりでケツを拭けばいいと思ってるから」。

 そして、般若は自分自身を冷静に分析する。

「いままで影響を受けたアーティストは……長渕剛さんとかナズとか、長く実力を保ってる人ですね。オレも頑張んなきゃなって思う。作品のたびに落ちぶれていくアーティストもいるじゃないですか? そうじゃなくて、出したら出しただけ上がっていきたい。『おはよう日本』が反省点ばっかりだったから今回作った感じすらあるし。リリック、フロウ、細かいとこは全部反省ですよ。まあ、あのアルバムは嫌いじゃないけどね。この『根こそぎ』だって全然満足じゃない。もう前のと同じくらいアラが見えてきてる。それに妄走族でもそうだけど、クリエイティヴな作品をどんどんどんどん出していきたい。ただ生産するんじゃなくて、いいタマを定期的にね。とにかく、妄走族は止まんねえから」。

 彼が先を見据える限り、そのギラギラした鋭い眼光が失われることはない。


妄走族の2004年作『進攻作戦』(MONOHON)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年03月03日 12:00

更新: 2005年03月10日 15:13

ソース: 『bounce』 262号(2005/2/25)

文/河野 貴仁