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インタビュー

Los Lonely Boys


 吹き上がる湯気で窓ガラスが曇っちまった――テキサスのテハーノ兄弟トリオ、ロス・ロンリー・ボーイズのデビュー・アルバム『Los Lonely Boys』を聴いていたときのことだ。とにかく仕上がりがビッグサイズ。その点が本国で評価されて、アルバム、シングル“Heaven”ともに大ヒット、グラミー賞でも新人賞ほか4部門にノミネート(この号が出る頃には結果が出ているはず)。豪快で力強いロッキンなナンバーに、情熱的で哀愁漂うラテン・リズム、甘くほろ苦いオールド・スタイル・バラード……と、収められているどの曲にもクラシックなアメリカン・ロック的感触があり、顔を近付けると香ばしい香りが鼻をくすぐる。

「俺たちはリッチー・ヴァレンスやチャック・ベリーなどのオールディーズにハマっていて、ラジオから流れてくる流行曲なんて見向きもしなかったんだ」(ヘンリー:以下同)。

 そもそも彼らの志向はルーツ・ロックにあった。それは、ファルコンズというコンフント・バンドのメンバーでもあった父、リンゴ・ガルザ・シニアからの影響が大きく、父の世代への憧れなどが彼らのなかで常に働いていたようだ。

「親父はロックやカントリーも好きで、エルヴィス(・プレスリー)やビートルズのようになりたかったようだね。俺たちは親父から手ほどきを受けて、8歳のころから演奏を始めたんだよ。親父のライヴを観に連れて行ってもらい、少し大きくなるとステージでいっしょに歌うことが許されるようになった。ラジオなんかより親父の演奏をよく聴いていたな。ステージでみんなと“La Bamba”を歌う機会をいつも楽しみにしていたよ」。

 その後ソロになった父親をバックアップするため、兄弟3人は結束を固め、本格的なミュージシャン稼業をスタート。それがやがて父親抜きでのバンドへと形を変えていき、ロス・ロンリー・ボーイズとなっていく。それにしても、いくら兄弟とはいえ、見事なヴォーカル・ハーモニーをはじめとするこのコンビネーション、カンペキ。

「曲作りをしていると、リンゴが自動的にハモってきて、ジョジョも独自のパートで入ってくる。マジックのようですごく不思議なんだけどさ。俺たち3人とも音楽に対して情熱を燃やしているんだ。いっしょに演奏していると思わずそれが溢れ出してくるんだよ、ごく自然にね」。

 彼らの音楽の端々には、その激しいトレーニングの跡が窺える。父親に〈お前たちの可能性は無限大だ〉と言われ続け、「休むことなく音楽を聴きまくり、演奏を重ね、学び、練習し続けた」この3兄弟。時間をかけて技術やナンやらを叩き込まれた強靱な身体から立ち昇る湯気が逞しい。そんな彼らの魅力に御大ウィリー・ネルソンもクラクラときたようで、レコーディング用に自身のスタジオを提供したという。

「俺たちは伝統的なチカーノ音楽やラテン音楽を熟知している。親父たちがやっていた音楽を聴いて育ったから、俺たちはなんとなくその逆の方向へと向かうことにしたのかな。そりゃあ大変だったさ、〈君たちのサウンドはメキシカン・バンドっぽくないね〉って言う人は後を絶たなかったし。やろうと思えば当然できたんだけど、俺たちは自分らしさを出して新しいことに向かいたかったんだ。なにしろサンタナ以外にこんなサウンドをやっているのは聴いたことがないからな」。

 スペイン語と英語を混ぜ合わせたオープニング曲“Senorita”からもはっきりわかるように、彼らは自分たちの身近でリアルな環境を今作に反映させようと試みた。いわばそのローカル音楽がアメリカ国内を揺るがし、今度は世界を撃とうとしている。

「なんだかメキシコ版のビートルズになったみたいでクレイジーだよ」と、喜びと驚きの入り交じった一言を漏らすヘンリー君であった。

PROFILE

ロス・ロンリー・ボーイズ
テキサス西部出身のヘンリー(ギター)、ジョジョ(ベース)、リンゴ(ドラムス)という兄弟からなる3人組バンド。ファルコンズというグループで活動していた父親リンゴ・ガルザ・シニアの影響から楽器を手にし、父親のライヴをサポートする形で音楽活動をスタートする。90年代後半には現在の形態での活動を開始。テックス・メックスにロックやカントリーを融合したサウンドが徐々に注目を集め、2003年にデビュー・アルバム『Los Lonely Boys』(Or/Epic/ソニー)をリリース。翌年にはエピックからの新装盤が登場したことで全米規模の支持を獲得する。2005年度のグラミー賞4部門にノミネートされたことでさらなる話題を集めるなか、その日本盤がこのたびリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年03月24日 12:00

更新: 2005年03月24日 18:51

ソース: 『bounce』 262号(2005/2/25)

文/桑原 シロー