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インタビュー

SCENARIO ROCK


 メーディ・パンソンとルドヴィク・セラローは10代の頃、まずスケートボーディングの虜になった。フランスの2人組による初めてのアルバム『Endless Season』に収録されている“Cruisin'”は、彼らのヒストリーを知るのに格好の曲だ。

「80年代半ばにパリ郊外でキッズだった僕たちにとって、スケートボーディングは自分自身を表現する方法だったんだ。ヒップホップやパンク、 ハードコアと同じようにね。DIYの哲学だね」とメーディ(以下同)。「僕たちは自分たちの攻撃的だったりするいろいろなパーソナリティーを、クリエイティヴでポジティヴなものに変えていく方法を学んだんだ。スケートはライフスタイルであって、そのカルチャーによって僕たちは早い段階で音楽やアートに惹かれていくことになったんだ」。

“Cruisin'”のクレジットにあるヘブ・フルーマンは、2人が最初に組んだ4人のスケートボーダーによるバンド。つまり解散しているわけではなく、ラフな存在らしい。90年代後半の重要なフレンチ・タッチ・レーベル、ソースによる97年発表のコンピ『Source Rocks』(フェニックスやメロウも収録)に参加した頃、結成当初のシナリオ・ロックは3人組で、後にDMCターンテーブリストのフランス代表となるDJポーンが在籍していたというのも興味深い。3人の親友関係は変わらず、今後別のプロジェクトを組むプランがあるという。

「僕たちはコンピュータよりも、キーボードやギターといったアナログな楽器のほうが好きなんだ。コンピュータだとあれもできてこれもできてと、焦点がブレちゃうのがイヤでさ。自分はもっと直感的なインスピレーションのエネルギーをキープすることに集中したいタイプなんだ」。

 マリオ・カルダートJrに借りたというヴィンテージ・キーボードの数々はサウンドに奥深さを与え、表情を豊かにしている。プラネット・ヘンプやマルセロD2、セウ・ジョルジらを手掛け、マリオのアシスタントもしていたブラジル人プロデューサー、デヴィッド・コルコスの株も上がりそうだ。ビースティ・ボーイズの作品に助演するアルフレッド・オーティス、イールズなどで活躍するクール・G・マーダーらも参加したロック・アルバム『Endless Season』は、60年代から80年代、現在までに至るさまざまな時代を行き来する。クラッシュにビートルズ、キュアー、ポリス、ピクシーズ、ビースティ・ボーイズからビズ・マーキー、マイナー・スレットまで、影響を受けた音楽の話を始めると「キリがないよ」と頭を抱えたが、マイケル・ジャクソンの『Thriller』だってジョークではない。キー・トラックの“Skitzo Dancer”をはじめ、彼らのソングライティングはいたってポップでキャッチーだ。

「まず最初に自分の感情を見極めて、それから即興的にプレイしてみると自然にこういう感じの曲になるんだ」。

“Skitzo Dancer”のリミックスをジャスティスが手掛け(ダフト・パンクのトーマ・バンガルテルが助演)、ヘッドバンガーズ一派とも近い関係だが、クロージングをはじめ、デザイン、イラスト、写真などで注目のサーフェイス・トゥ・エア(S2A)とのコラボ──撮影現場では笑いが絶えなかったという“Skitzo Dancer”のプロモ・クリップやアートワーク──が話題になっている。さまざまな方向からアクセスできるのはいまどきのバンドらしいところ。

「S2Aと僕らには共通点がとてもたくさんあるんだ。皮肉で典型的なユーモアのセンスとか、80年代のロックとか音楽の形式を使うアプローチとかね。“Skitzo Dancer”のプロモ・クリップは、エキサイティングなヴィジュアルと共に音楽で夢やファンタジーに富む人生を表現する、という僕らのコンセプトを紹介しているんだ」。

PROFILE

シナリオ・ロック
フランス出身の2人組。90年代中盤、メーディ・パンソン(ヴォーカル/ギター)とルドヴィク・セラロー(ベース)は母体となるバンド、ヘブ・フルーマンのメンバーとして音楽活動をスタート。スケートボードを趣味にしていた彼らは、当初ストリート色の強いパンク・ロックを演奏していたが、徐々にヒップホップからの影響で多種多様なサウンドへと変化を遂げる。99年、デュオでの楽曲制作を始め、2003年には本格的なレコーディングを開始。2004年末にリリースされたシングル“Skitzo Dancer”が大きな話題を集めた。今年1月に本国でリリースされたファースト・アルバム『Endless Season』(BMG France/Jive/BMGファンハウス)の日本盤がこのたびリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年04月28日 16:00

更新: 2005年04月28日 16:31

ソース: 『bounce』 264号(2005/4/25)

文/栗原 聰