インタビュー

〈夢のコラボ〉ってなにゆえに!? ジャンルは違えど、90年代から闊歩した両者の足取りを追ってみよう

1996~2000

 電気の多様化を暗示する傑作となった砂原のソロ作『Cross Over』が象徴的な、三者三様充実の季節。96年、“POMATO”他ピエール瀧が大活躍する『ORANGE』を発表。97年、メンバーの多様性を丸々コラージュし、電子変調して鳴らした『A』(キューン)で新しい局面へ。シングル“Shangri-La”ではシルヴェッティ“Spring Rain”を大胆に引用して大ヒット。〈MAYDAY〉へDJ出演を果たした卓球はテクノに原点を見い出し、砂原はテクノではない〈何か〉に惹かれ出して……99年春に脱退。その後、卓球は〈WIRE〉を主宰し、新生電気は初期のユーモアに回帰した『VOXXX』(キューン)へ。(原田)

 97年、ANI30歳に。ヒップホップを巡って周囲が騒がしい季節。ベスト盤発表後、レーベル移籍を経て98年『fun-key LP』(ワーナー)をリリース。“アーバン文法”ほかでファンキーな局面、タイトなワードプレイを提示。同年、SHINCOはDEV LARGE、KZAらと渋谷HARLEMでイヴェントを開始。2000年作『ドコンパクトディスク』(ワーナー)は、トゥルーゴイ(デ・ラ・ソウル)参加の“5W1H”、SHINCOの隙間を活かしたビート作りが光る“ドリジナルコンセプト”などでさらにタイトな作りに。〈そして我々は前進しなくてはいけない〉――とか、音楽的な前進と共に、大人(?)&クールな意識が目立ち出した時期。(原田)

2001~2005

 CMJK、まりん、コーネリアスやDJ TASAKAといった電気に所縁の深い面々が参加した、デビュー10周年を記念したリミックス・ベスト・アルバム『THE LAST SUPPER』(キューン)。意味深なタイトルにさまざまな憶測が流れるなか、2001年9月に一時活動休止のコメントを発表し、個人活動期間へと突入する。久々のリリースとなった2004年のベスト盤『SINGLES and STRIKES』(キューン)では新曲が披露され、いよいよ復帰を匂わせた同年夏、〈WIRE04〉にてついに電気グルーヴの復活ライヴを敢行。この時の模様と、瀧&天久聖一制作によるプロモ・アニメを収めたDVD「ニセンヨンサマー」が大きな話題になったのは記憶に新しい。(aokinoko)

 21世紀に入ってからのSDPは、個々の活動と並行して脱線3のロボ宙のソロ・アルバム『銀河飯店』(Recording School/キューン)や、HALCALIのプロデュース・ワークを手掛ける一方、SDPプレゼンツのライヴ・ツアーを開催するなどマイペースに活動を続ける。そして2004年、ついに4年ぶりのアルバム『The 9th Sense』(COMPACTSOUNDS/ラストラム)をリリース。いつも以上にブッといSHINCOのトラックに、あのノリは健在なれど確実に男の階段昇ってる感のある、ワビサビすら匂わすANI&BOSEのフロウに思わずニンマリ。そして、このアルバムを気に入っていたという卓球とSDPが〈WIRE04〉の楽屋で再会。コラボに繋がったというエピソードも、なんとも彼ららしくていいですなー。(aokinoko)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年06月30日 15:00

更新: 2005年07月07日 19:30

ソース: 『bounce』 266号(2005/6/25)

文/aokinoko、出嶌 孝次、リョウ 原田

記事ナビ