iLL
まだ見ぬサウンドスケープへ。ナカコーこと中村弘二は一歩ずつ着実に歩みを進めてきた。SUPERCARにあっては、野外レイヴの経験やオルタナティヴなハウス・シーンの盛り上がりを予見する内容をいち早く音源化。そうかと思えば、ソロ・ユニットのNYANTORAにあっても2枚の作品に渡って過激でいてユーモラスな実験を繰り広げてきた。しかし昨年2月にSUPERCARを解散させる一方、NYANTORAも今年1月に3枚組の『夜を忘れなさい/97-03』を発表することで、その活動を凍結。彼のなかでひとつの季節が終わりを迎えた。
しかし、ある季節の終わりは同時に新たな季節の始まりを意味する。彼が新たに立ち上げたプロジェクト、iLLは彼が求める未踏のサウンドスケープを描くためのアトリエのようなものだ。ここで制作されたファースト・アルバム『Sound by iLL』は、何もない空間に立体的な絵を忽然と浮かび上がらせると、時間軸を超えたマジカルでミステリアスなツアーへと聴き手を誘う。
「自分は常に新しい音楽や新しい響き方をする音楽を探しているタイプの人間だから、自分もそういうものを作りたいとは常に思っていて。そのアイデアが固まらない段階ではディスコ・トラックを作ってて、その見せ方のおもしろさを考えていたんだけど、本質的には音の新しさを考える人間だから、そっちができればよりベターだとは思っていて。で、それが〈あれ?あれ?〉っていう間にできちゃったっていう。打ち込みを始めてからそう思えたのは初めてだったし、やっていくうちにスパスパっと決まっていって、〈あ、これは誰でもない俺の音だ〉って思えた」。
未発表だったNYANTORAのラスト作ではビートやメロディー、フォーマットに規定されないノン・ビートな世界観を提示してみせた彼だが、この作品にあっては、ビートやメロディー、サンプル・フレーズの断片を用いながら、テクノやハウス、エレクトロニカといったカテゴライズをするりとかわしてゆく。
「NYANTORAの〈夜を忘れなさい〉は今回のアルバムのスケッチとも言えるし、もっとも初期のアイデアみたいなもの。あの作品を押し進めたものを作りたいなとは思っていたんだけど、そこにポップ性というか、聴きやすさを足したものがやりたくて。聴きやすさ? ロウソク100本を使った百物語を部屋でやる怖さと、TV画面から貞子が出てくる演出された怖さのどっちがポップかっていったら、貞子のほうがポップじゃない(笑)? 怖い時に怖いと思わせたり、見せる時は見せたり、聴いている人をその世界に誘導してくれるような、そういう演出だよね」。
この作品における演出とは精緻なサウンド・デザインであり、音を配置する際のストーリー性だ。この作品は聴き進めていくと予期しない音に出くわし、しばしば驚かされるのだけれど、サウンド・デザインとストーリー性が作品にまとまりを与えている。
「バンドの曲もそうだったけど、作る曲には全部ストーリーがあるかな。例えば、“I LOVE YOU”なんかはコラージュとしての視点というか、繁華街なんかを普通に歩いていると、こっちでトランスが流れてて、あっちでヒップホップが流れてて、上からはJ-Popみたいな、街自体がコラージュ・ミュージックみたいな空間になっているでしょ? そういう世界にいながら、雨が降れば、無意識的にみんな雨を意識して、それがひとつの共通項になるわけで、それって、実は不思議なことだし、ひとつの音の風景になってると思って。で、そこで普通に雨音を使っても良かったんだけど、ちょっとした洒落が欲しかったから、その雨音も実はデジタルだったのでしたっていうオチにした(笑)」。
そんな耳と脳を駆使して楽しむ映像的音源集である本作の初回盤には、メディア・レイピスト、宇川直宏とのコラボレーションによるDVD「RAPiLLE i Movement #1」が付いている。高解像度な顕微鏡を駆使して、日常に存在しながら知られざるミクロの世界を探検するDVDはサウンドスケープを補完するものではないが、こうしたコラボレーションを皮切りに特定の形態にこだわらない活動をしていくというiLL。彼の冒険は音楽の枠さえ超える可能性を大いに秘め、いざニュー・フロンティアへ。
PROFILE
iLL
元SUPERCARのナカコーこと中村弘二による、自由な形態のプロジェクト。95年に結成されたSUPERCARは97年にシングル“cream soda”でメジャー・デビューし、以後アルバム13枚とシングル15枚をリリース。一方、2001年にはソロ・プロジェクトとなるNYANTORAを始動し、同年ファースト・アルバム『99-00』をリリース。その後、2005年2月のライヴを最後にSUPERCARは解散。今年に入り、サード・アルバム『夜を忘れなさい/97-03』をリリースしたNYANTORAも活動を凍結するが、一方で新プロジェクト〈iLL〉を立ち上げる。4月には1回あたり99人と動員数を限定した初のライヴを披露し、5月31日にはデビュー・アルバム『Sound by iLL』(キューン)をリリースする。