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インタビュー

dj KENTARO

バトルDJとして世界の頂点を極めた男が、新たな一歩を踏み出した。ヒップホップを基盤にさまざまな音楽エッセンスをジャグリングするdj KENTAROに限界はない!

とにかく悔しかったんですよ


 dj KENTAROにとって、音楽人生を変えた出会いが2つある。まず1つ目。小学校を卒業してNOFXのようなメロコアを聴きながらスケボーをやっていた頃に、たまたまTVで観たバトルDJによるスクラッチ。それに衝撃を受けた彼は、そこでターンテーブルと出会う。親には買ってもらえないことがわかると、すぐさま新聞配達のバイトを始め、ターンテーブルをみずからの力で手に入れてスクラッチに夢中になった。ただ、その後はヒップホップやハウスの魅力を知ってクラブDJを始め、一度バトルDJからは距離を置くことになる。その彼をふたたびバトルDJへと引き戻し、そして世界チャンプへと導いたともいえる一本のビデオとの出会い。それが2つ目である。

「98年に〈DMC〉のアメリカ大会のビデオを観て、第2の衝撃を受けたんですよ。それで、〈またバトルDJをやりたい!〉って。俺はその時、好きだったショートカットが当然勝つと思っていたんだけど、結局彼は負けて、クレイズが優勝するんです。クレイズはテクニックだけじゃなくて、(バトルの)6分間で音楽を作っていたというか。グルーヴを崩さず、流れも完璧でしたね。とにかくそれを繰り返し観ました」。

 そのビデオで受けた衝撃のままに、初めて〈DMC DJ CHAMPIONSHIPS〉の東北大会に出場する。結果はボロ負け。

「とにかく悔しかったんですよね。地元では多少上手いんじゃないか、って過信があったんでしょうね。そこで恥もかいたし……」。

 が、次の年も負けた。その時に支えになっていたのが先のビデオで、〈ああなりたい〉と憧れ続けたという。そして3年目に北日本大会で準優勝をした後、そこから一気にバトルDJの頂点へと駆け上がっていく。2001年に〈DMC〉の日本大会で優勝、世界大会では3位。翌年には日本大会で2連覇を果たし、ついには世界大会で優勝する。彼が栄光を掴んだ裏には初めての大会で味わった悔しさがあり、それをバネにしたのは言うまでもない。その何年間での練習量も容易に想像はつく。ただ、勝ち負けの世界で生き、そこで頂点に昇り詰めた時に思ったこと、それはこれまでの苦労話でもこれからの自慢話でもない、ある思いであった。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2007年03月08日 15:00

更新: 2007年03月08日 19:23

ソース: 『bounce』 284号(2007/2/25)

文/池田 義昭