インタビュー

DJ BAKU(2)

凡では終われない

 この国がふたたび閉じはじめた、鎖国状態に入りつつある――そう書いたのはロジャー・マクドナルドのブログが最初だったか。〈鎖国状態〉というのは情報をシャットアウトすることで、それは例えばTVをつけるだけで十分知ることができる。扇情主義とインターナルな冗談の氾濫、もっともらしいことが言われていたとしても、積極的な意味はない。例えば、中国の食品問題についてメイクアップをしたニュース・アンカーマン、古館伊知郎はその報道の最後に〈厳重にこの問題を追及してほしい〉と言ったが、この言葉は中国がどのような国なのか、どのような場所に工場があるのか、そこでどのような人間が労働者として働いているのか、その背後の状況をモニターのこちら側に伝えなければ何の意味もない。彼(と彼が象徴する怪物)は、目と耳を塞がれた受け手の身体に快適な〈情報のようなもの〉をマッサージのように受容させている。

(問題をはっきりさせるために誇張された言葉を使い続けるが)そんな〈鎖国状態〉は報道だけでなく、音楽業界にも応用できる。一方で楽観主義的かつ誇大妄想気味な〈世界で通用する日本の音楽〉が、音楽インダストリーで大袈裟に喧伝されるのはその反動。世界はひとつではないし、世界はひとつの家族でもない。では、音楽家がやるべきことは何か? それは少しずつでも、広まっていく音楽、開いている音楽を作っていくしかない。音楽とは異なった文化とそこに育った人々が出会うことであるのだから。

「アルバムに参加してくれたドーズ・ワンとは最初に曲のテーマをやりとりしたんですが、でも送ってきてくれたものにNGを出すことはなかったですね。ただ、アルバム全体のビートは何度も作り直した。全部出来たと思っても、何回もドラムを録り直したり……だからビート制作はけっこう時間がかかったんです。途中で、〈これじゃあ、普通に終わっちゃうな、(平)凡に終わっちゃうな〉と思ったんですよ。それはけっこう最近の話で、半分以上出来ていた段階だったんです。で、この後どうするか?って考えた時に生を入れていく――ギターの音が好きなんで、それを入れる、ってことを考えたんですよね。でも生の音を入れていくという発想は、むしろ昔に戻ったのかも。初期のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかが好きだったんで」。

 DJ BAKUとイヴェントの名前でもある〈KAIKOO(=邂逅)〉は、彼と彼の音楽を語るうえで切っても切り離せないものだろう。たまたま拾ったレコードの中にウォーレン・スミス&マサミ・ナガサワの“Kaikoo”というレコードがあったこと、映画「タクシー・ドライバー」のロバート・デ・ニーロのセリフ──〈自分はタクシードライバーだから、一生いろんな人に会って行かなければいけない〉──との運命的な出会いが〈KAIKOO〉の意味と合うということ、そして、そこから〈KAIKOO〉という言葉をミックステープのタイトルに使ったこと。彼の忘れられない音楽的な〈KAIKOO〉はかつてのDJシャドウであり、いまではグライムやダブ・ステップかも知れない。

「僕は身体性みたいなことに憧れているんですよ。僕にとって音楽は〈これしかないな〉と思って始めたものなんです。学校で運動ができたわけじゃないし、かといって勉強ができたわけじゃない、だからDJを始めた……というのもある。このアルバムに身体性を感じてもらえるのは嬉しいですが、めちゃくちゃ運動ができる人への憧れがあると思うんですよ。BMXをやってる友達とか、けっこう日本は凄いですからね」。

 目を開き、耳を澄まし、外に裡に感じ、音楽を奏でればより世界は広がる。世界と音楽家は、たぶんそうしてしか〈KAIKOO〉しない。

▼『DHARMA DANCE』に参加したアーティストの作品を紹介。


ドーズ・ワンの2005年作『Ha』(Anticon)

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掲載: 2008年04月17日 18:00

ソース: 『bounce』 297号(2008/3/25)

文/荏開津 広