DUFFY
年頭だったかにダフィの〈MySpace〉で“Mercy”を初めて聴いた時、またエイミー・ワインハウスの人気便乗型新人かと早合点してしまったのは、レトロな感触のサウンドに乗ったこの曲の〈イェーイェーイェー〉というコーラス部分と、“Rehab”の〈ノーノーノー〉が被ってしまったからだった。が、それから間もなくしてファースト・アルバム『Rockferry』が届き、それが浅はかな読みだったと思い知った。戦略や後追いなどで実現できるはずのない、時代を超越した普遍性がそこには広がっていたからだ。しかもキャッチーでダンサブルな曲は“Mercy”のみで、ほかはバラードばかり。だが、実はそうしたバラード群の歌唱表現にこそ彼女の真骨頂はあり、繰り返し聴くほど陰影に富んだその世界観の深みにどっぷりハマって抜け出せなくなった。恐らく世界中の聴き手がそうであったように……。
「どうしてこんなに反響があったのか、私にもわからないわ。イギリスにはじまり、ヨーロッパ全土、そしてアメリカ……世界中でほぼ同時に火が点いて、ただただこの状況に圧倒されているといった感じなの。自分ではもっとゆっくりした変化を想像していたからね。いままで世界の音楽市場にはそれぞれ異なるテイストがあると思われていたけど、実はそうでもないのかもしれないわ。いくつかの国でライヴをやってみてそう感じたの。きっといま、世界中の人々がソウルを欲していたんでしょうね。ただ、私の音楽を〈ソウル・ミュージック〉と呼んでいいのかどうかはわからないけど」。
発表と同時に世界11か国で1位となった驚異のデビュー作、先述の『Rockferry』がいよいよ日本でもリリースされたダフィ。上の発言からも察せられるとおり、彼女は直感型で、物事の本質をズバッと捉える能力を有している人なのだろう。余計な情報や過去のデータなどに捉われずにいられる、言うなれば〈純粋力〉といったものが備わっていることの証だが、それを育んだのはウェールズの海沿いにある田舎町・ネヴィン。
「人口はたった2000人で、ほとんどの人がそこから出ることなく一生住み続けているの。クールでいることがまるで重要じゃない環境だし、そもそもクールという概念がどういうことかもわからなかった。でも、みんな流行に関心がなくても、いい人生を送ることには関心があったわ。そうした土地で育まれた人生観が、私の音楽のどこかにも表れているんだと思うの」。
タイトル曲などを彼女と共作したバーナード・バトラーも、「ダフィはどういうものを好きになって、どういうふうに振る舞って、どんなふうに歌えばいいといった概念を植え付けられずに育つことができた」と語っているが、要するにそういうことなのだろう。だから、ロンドンを拠点に音楽活動するようになった現在も、ジャンルや年代などは関係なく、ただ純粋にみずからの心を動かす音楽だけを聴いているそうだ。
「シュープリームスやサム・クックは素晴らしい。でも新しいものも聴いてるわよ。MGMT、アーケイド・ファイア、レイ・ラモンターニュ、マイ・モーニング・ジャケットとか、大好き!」。
ところで、以前エステルが「アデルやダフィによってソウル・ミュージックが再評価されたなんて言ってほしくない」と発言し、それに対してダフィが「肌の色は関係ない」と反論したことがあった。この件を改めて問うと……。
「さっきも言ったけど、そもそも私は自分をソウル・シンガーだとは思ってないの。っていうか、ソウルはスタイルじゃないと思うし、例えば私はアーケイド・ファイアの〈エキサイティングな率直さ〉にもソウルを感じたりするから……。人がどう言おうと、私は気にしないわ」。
エキサイティングな率直さ――なるほど、それがダフィの音楽にも満ちていて、世界中の聴き手はまさしくそこに心揺さぶられたのだ。
PROFILE
ダフィ
84年6月生まれ、北ウェールズはネヴィン出身のシンガー・ソングライター。15歳の頃からいくつかのバンドでヴォーカルを務めるようになり、2003年に地元のTVオーディション番組に出演。2004年にはインディー・レーベルのアウェンよりファースト・ソロEP『Aimee Duffy』を発表。その後も地道なライヴ活動を展開していく。2007年にポリドールと契約を結び、10月にデビュー・シングル“Rockferry”をリリース。続くセカンド・シングル“Mercy”で〈MOJOアワード〉のベスト・ソング部門を授賞。大きな話題を集めるなか、2008年2月にファースト・アルバム『Rockferry』(Polydor/ユニバーサル)を発表。このたびその日本盤がリリースされたばかり。