インタヴュー熊谷和徳──ダンス?音楽?交差点としてのタップ
タップダンスを「観る」、と言うべきか「聴く」と言うべきか、とても戸惑う。名前に「ダンス」と付く以上、舞踊の一種として観るべきものなのだろうか。そして、その問いはもっと深い、音楽と身体をめぐる根源的な問いへと押し進めることができる。「自分の意識としては、やっぱり音にすごく寄っている」と言いながらも同時に「ダンスと音はやっぱり切り離せないものだったりもする」。熊谷は奇妙な言い方でそれを表現する。「身体が音楽を発している」という言葉である。「バレエでもすごい人のダンスを見ると、その中にリズムがある。すごく抑えた動きの中に、鳴っている音がある。それはミュージシャンでもスポーツ選手でも同じじゃないかな。身体から音が鳴っているように見えるから、それがダンスに見えるし、マイケル・ジョーダンとかは動きがもうダンスだし、リズムがすごい」。優れた表現には身体の存在感や躍動がつきものであり、同時に身体自体が音を発していなくてもリズムが内在し、そこに熊谷は音楽を観る。熊谷自身、他のタップダンサーを観るときは必ずしも足には注目しないと言う。「足はギターでいう指先みたいなものだから。そうじゃなくて、上半身や表情も観て欲しい。本当に音楽に近づけるということは、もっと上半身から音が鳴るようなことなんじゃないかな。だからすごいタップダンサーを観てると、足とか別に観たいと思わない。身体全体とか、表情とかから表現が感じられるから」。
圧倒的に多くのダンサーが、ダンス的アプローチからタップを始める。しかし熊谷は、むしろミュージシャンたちの感覚の方に親近感を覚えている。実際音楽家の側から、コラボレーションを持ちかけられることも多い。上原ひろみ、DJクラッシュ、菊地成孔、日野皓正、ハナレグミ、大友良英など、いずれもそれぞれの世界で一流のアーティストばかり。「コラボ、コラボっていう風潮はあまり好きじゃない」と言う熊谷だが、タップの魅力をより幅広い人に知ってもらうためにはアウェイの戦場も厭わない。昔はミュージシャンのオープニング・アクトで出演して、「タップダンサー」という肩書きだけで観客に笑われたこともあった。しかし今や、彼の圧倒的なパフォーマンスを一目観たら、誰もがその存在感に魅了されないわけにはいかない。
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