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インタビュー

イルリメ 『360°SOUNDS』

 

勘違いが生んだ(!?)個性で360°縦横無尽に転げ回る! ひたすら愉快なその音で目が回っちゃうよ!

 

イルリメ -A

KAKUBARHYTHMへの移籍以降、軽やかな足取りでポップ・フィールドに突き進み、さまざまなリスナーにアピールし得る人懐っこいサウンドを提示してきたイルリメ。約1年のインターヴァルで届けられたミニ・アルバム『360°SOUNDS』もこれまでと同様の賑やかな作品となってはいるが、音の手触りの面ではかなりの違いが窺える。前作『メイド イン ジャパニーズ』で聴くことができたバンド・サウンドやシンガー・ソングライター的なスタイルの楽曲は影を潜め、ストレートにダンサブルなパーティー・チューンが並んでいるのだ。果たしてこの変化の理由は?……と意気込んで尋ねてみたものの、彼は至極シンプルに「機材が変わったんですよ」と答えるのであった。

「新しい機材の特性に見合った音を作っていったら、打ち込みっぽい要素が強くなったんです。これまでのサウンド面の変化も、大概は機材を変えたことによるものなんですよね。ひとつの音にこだわる気持ちがあまりなくて、スタイルの移り変わりを楽しんでる。それに僕が作る音はクセが強いから、どんな楽器を使っても自分の音楽になるという自信……というか業(笑)があるんです」。

こだわりや執着から解放されているからこそ彼の音楽は風通しが良く、外に向かって開かれた印象を与えるのかもしれない。本作も打ち込みモノにありがちな密室的な印象はまるでなし。楽器を抱えてヤンチャに跳ね回るライヴでの姿がダイレクトに目に浮かぶ楽曲ばかりだ。

「そもそも、自分が演奏してる姿を想像しながら制作してるんですよ。以前はスケッチみたいに音を作っていたし、ライヴでやらない曲もあったんですけど、いまは楽曲のゴール地点がライヴになってる。もちろん作品とライヴを切り離す考え方もあるし、音だけ作ってライヴはやらない活動も理想的とは思いますけど、自分にとってそれは現実味がない」。

ライヴを至上とする姿勢は歌詞の面にも色濃く表れている。“フィジカルグラフィティ”では楽曲の構造と展開をリアルタイムで解説し、“WE ARE THE SOUND”では踊るオーディエンスを描写していく。つまりこれらの楽曲はライヴの音と光景を実況中継したものなのだ。なおかつ、その一言一句がフロアを昂揚させるパーティー・ラップとして機能しているのが凄い。彼はMC=マスター・オブ・セレモニーという言葉本来の意味に立ち返り、現場におけるラップの役目を突き詰めて考えているようにも思える。

「例えば音楽を聴いていて、〈あ、このギターいいよね〉って言ったりすること自体がMCじゃないかと思うんです。グルメ番組のレポーターの説明みたいな(笑)。フリースタイルでやるときも、その場の状況をラップするのがいちばん盛り上がったりするし。最終的にはステージ上に自分が立ってることが関係なくなって、音の魅力を伝えるためだけに存在してるってのが理想なんですよ。音楽があって、お客さんがいて、自分はその間の媒介でしかないというか。そういう巫女的な役割になりたい」。

さまざまな趣向を凝らしたステージングでトリックスターのように立ち回ってきたイルリメが、実はキャラクターを前面に出さないMCを理想としているというのは意外であり、興味深い。彼は本作を〈自分なりのシティー・ポップの世界〉と形容したが、その意図するところにも匿名性に対する憧れが感じられた。

「作者とは離れて、聴き手のものになる感じ――カーステレオで聴いたり、携帯プレイヤーで聴いたりした時に風景となり得るものっていうのが自分の考えるシティー・ポップ。このアルバムもそういうものをめざしたんです。ただ、僕のシティー・ポップ観は間違ってるかもしれないですけどねえ。そういう勘違いが多いんですよ。自分なりにヒップホップをやってたつもりなのに、人から言わせると全然違ってたり。まあそうやって誤解し続けていたら結果的に個性になったかのかもしれない……良いように取れば(笑)」。

 

▼イルリメの作品を紹介。

左から、2003年のミニ・アルバム『流星より愛をこめて』(SPOTLIGHT)、2003年作『鴎インザハウス』、2004年作『www.illreme.com』(共にミュージックマイン)、2007年作『イルリメ・ア・ゴーゴー』(KAKUBARHYTHM)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2010年05月20日 23:00

更新: 2010年05月20日 23:06

ソース: bounce 320号 (2010年4月25日発行)

インタヴュー・文/澤田大輔