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インタビュー

毛皮のマリーズ 『ティン・パン・アレイ』

 

これは毛皮のマリーズのニュー・アルバム……なのか!? 志磨遼平がメロディーのしもべとなって作り上げた、壮大で豊かなポップ・ミュージック博覧会へようこそ!

 

僕はメロディーに忠実に仕えているだけ

ニュー・アルバム『ティン・パン・アレイ』。これは毛皮のマリーズではない。志磨遼平の脳内に広がる壮大な曼荼羅の如き音楽の極楽浄土を、忠実に再現した作品である。マリーズのサウンドに欠かせないグラマラスなエレクトリック・ギターの響きは、冒頭の“序曲(冬の朝)”と“Mary Lou”のバッキングでチラリと聴けるのみ。ほとんどの曲はいわゆるバンド・サウンドを超えてキーボードやパーカッション、弦楽器、管楽器など多様な楽器で構築されており、しかも全編でドラムを叩いているのは志磨であることをはじめ、他のメンバーが参加していない曲も多数含まれる。メジャー進出2作目にしてこの大胆な変貌ぶりはいったい何なのか。そして〈何なのか〉と問う前に聴く者の全身を捕らえて離さないこの感動こそいったい何なのか。彼はいつにも増して饒舌である。

「いままでは、僕の頭のなかで聴こえた音楽が違う方向に行くことが多かったんです。最初にメロディーが降りてきた時には可能性が360度自由に開けているのに、毛皮のマリーズが演奏することによって何かの可能性が大きく減るんですよ。それは不幸なことだから、頭のなかで鳴っている音をそのまま録音しようというのが今回のテーマです」(志磨遼平、ヴォーカル:以下同)。

「こう言うと、僕がものすごい独裁者みたいでしょ?」と笑いながら、「でもね……」と話は続く。

「僕はメロディーに忠実に仕えているだけのしもべなんです。16歳からずっとそうで、メロディーが学校を辞めろと言ったから辞めて、バンドを組めと言ったから組んで(笑)。今回もメロディーに忠誠を誓って、〈毛皮のマリーズの歴史なんか知ったこっちゃない。ギターは弾くな、その代わりチェンバロとフレンチ・ホルンと弦楽四重奏を用意しろ〉と言われたから、〈かしこまりました、ただちに〉と。それは凄く幸せなことでしたよ」。

これまでも過去のロックからの引用を得意としてきた彼だが、今回は50~60sのアメリカン・ポップス、フレンチ・ポップ、ソウル、ソフト・ロック、カントリーなどの引き出しを大きく開け、少年時代に憧れていた〈渋谷系〉への共感をもあからさまにする。外観は非ロック的ながら、豊かなロック・スピリットを感じさせる緻密に構築されたサウンドが、手を替え品を替えカラフルにうねり、躍動してゆく全11曲のなかで、志磨が「全キャリア中でもっとも優れた楽曲」と自画自賛するのが“愛のテーマ”。『ティン・パン・アレイ』という表題に込められた究極のポピュラー・ミュージックへの純粋な憧れは、ここにとどめを刺した。

「この曲は非の打ちどころがないです。イントロのシタール、ヴァイオリンのピチカート、ホンキー・トンク調のピアノ・ソロがあって、フレンチ・ホルン、リコーダー、子供コーラスが入ってきて、ストリングスには賛美歌のフレーズが入ってくる。素晴しいです。革命のような音楽とか人生のような音楽とか、僕はそういうものに感動してずっとそれをやってきましたけど、これは音楽です。ただただ豊かな音楽です」。

 

毛皮のマリーズは〈約束〉

そしてこのアルバムのもうひとつの核となる歌詞について。“序曲(冬の朝)”の冒頭のフレーズは〈東京に朝が来る〉で、ラストの曲名は“弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」”。豊かに解き放たれた音楽が導く言葉は、彼が長年抱いてきた〈東京とは?〉という問いに対する答えだった。

「僕が東京に出てきて10年なんですけど、ずっと聴かず嫌いだったはっぴいえんどを、去年初めて〈いいな〉と思ったんです。田舎の人は〈ふるさとを捨てる〉とか〈成功を手にする〉とか、何かを手放したり手に入れたりしようとして必死ですけど、東京はすべてが揃っていて、そこにいる人は何も探す必要も手放す必要もなく、ただ日々の生活を愛でている。東京の何が好きかというと、僕にとってはその感覚だったんですよね。はっぴいえんどの音楽にあるようなその感覚をやっと僕は掴んで、東京を一個の作品にしてみたいと思ったんです。それで1曲目から歌詞を書いていって、最後の曲のいちばん最後に〈愛しき、かたちないもの——僕らはそれを“東京”と呼ぼう〉という言葉がヒュッと出てきた。形がなくて愛しいもの、つまり生活とか人生とか幸せとか、そういうものを歌った作品であることに、最後の歌を書き終えて気付いたんです。すごく幸せな音楽だと思いますよ」。

それにしても、メロディーのしもべにして多才多能を誇る音楽家・志磨遼平のすべてと言えるこのアルバムは、彼個人の作品として出されるべきではなかったか。毛皮のマリーズが演奏することによって可能性が減るという、その発言に矛盾はないのか。彼の答えは明快だ。

「そう突っ込まれた時の答えを用意してました(笑)。僕にとって毛皮のマリーズは、ひいてはロックンロールというものは〈約束〉なんです。マリーズでやることによってメロディーはいろんな可能性を失うけれど、〈毛皮のマリーズだから聴く〉という人たちとの間に交わしたものすごく幸せな約束があって、それを僕は裏切れないんですね。僕らはカッコイイことしかしないという約束のもとに、たくさんのロック少年/少女の夢を叶える約束、いろんな人を感動させるためにたくさん売れるという約束、まだ叶えていない約束がいっぱいある。すごく不自由ですけど幸せな約束なんです。それを叶えるためには毛皮のマリーズでロックンロールを演奏しないといけない。次はまた〈本業〉に戻りますよ」。

巨大な才能といくつもの約束と、メロディーの神様の指示とロックの歴史とバンドの人生を背負って走り続ける志磨遼平の決意は美しい。前言撤回しよう、これが毛皮のマリーズである。

 

▼毛皮のマリーズの作品を紹介。

左から、2006年作『戦争をしよう』、2007年作『マイ・ネーム・イズ・ロマンス』、2008年のミニ・アルバム『Faust C.D.』(すべてDECREC)、2008年作『Gloomy』(JESUS)、2010年作『毛皮のマリーズ』、新作の先行シングル“Mary Lou”(共にコロムビア)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2011年02月21日 18:02

更新: 2011年02月21日 18:03

ソース: bounce 328号 (2010年12月25日発行)

インタヴュー・文/宮本英夫