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インタビュー

bómi 『Gyao! Gyappy!! Gyapping!!!』

 

bomi_特集カバー

 

[ interview ]

一つの音楽性を長きに渡って追求していくというのも素晴らしいことだが、人間、生きていくうちに気持ちの変化が起こるのはごく自然なこと。その気持ちを尊重し、リスクを怖れず別のスタイルへ挑戦し続けるアーティストがいるのも確かだ。これまでの〈宝美〉としての活動に区切りを付け、今回、心機一転してアーティスト活動をスタートしたbómi(ボーミ)。彼女は間違いなく後者のタイプである。

エレクトロもサイケもミックスしたオルタナティヴ・ロックに、ファニーな言葉とみずからの芯をしっかり織り交ぜた歌詞を歌う彼女。初音源となるタワーレコード限定のミニ・アルバム『Gyao! Gyappy!! Gyapping!!!』の話題を中心に、bómiのアーティスト像に迫ろう。

 

もっとポップで明るく

 

——もともと、bómiさんは歌うことが好きだったんですか。

「そうですね。小学生のとき、あるオーディション番組を観てて応援してた子がグランプリになったんです。その歌の審査を観て〈私のほうが上手いかも〉と思っちゃったんです(笑)。それから歌を習いに行ったのが、そもそものきっかけになりますね。あと、カラオケも好きで、7~8歳離れたいとこのお姉ちゃんとよく行ってました。高校の頃は学園祭で歌ったりしてましたよ」

——どんな音楽に影響受けたんですか。

「高校時代は、R&B、歌モノですね。スティーヴィー・ワンダー、ステイシー・オリコ、クリスティーナ・ミリアンとか。18歳のときに、大阪から東京に出てきて大学に入ったんですけど、その頃から、キャロル・キングとか60~70年代の音楽が好きになったんです。あとフェアグランド・アトラクションとか聴いてました」

——曲作りに興味を持ったのは、いつ頃からですか。

「歌詞は、小学5年生から作ってたんです。歌詞ノ-トみたいのを作ってて、ヘタなイラストが描いてあったりするんですよ(笑)。作曲を始めたのは、高校生になってから。家にピアノはあったけどコードがわからず、鼻歌と2音くらいで作ってたんです(笑)」

——ライヴ活動も行ってたんですか。

「本格的に人前で歌うようになったのは、東京に出てきていろんな人に会ってからですね。大学で音楽サークルに入るのがなぜか嫌だったんですよ(笑)。個人でデモを作っていろいろ送ったりしてて。で、いま、歌詞をいっしょに作ってる御徒町凧(おかちまち かいと)さんと出会って、漢字の〈宝美〉として活動しはじめたんです。当時は、私が作曲して、御徒町さんが歌詞を書くっていうスタイルでした」

——〈宝美〉といまの〈bómi〉では音楽性が全然違いますね。以前は、アコースティックのストレートなサウンドでしたが、現在は弾けたロックです。真逆の方向性に向かったきっかけがあったんですか?

「私自身、アコースティックな歌モノの音楽が好きだし、自分で作曲するとそうなるんです。でも、2~3年そういうライヴを続けてた去年の夏頃、ステージに立ってるときに、〈歌ってる自分〉と〈心のなかの自分〉がすごく乖離してるなって客観的に思う瞬間があったんです」

——歌いながら、やってることと心のずれに気付いたんですね。

「そうなんです。それまでは、自分の葛藤を素直に歌で表現するというのが自分に合ってるし、いいと思ってたんですけど、その瞬間に、もうこの感じは違うんだなと思ったんですよね」

——自分のなかで、一つやり終えた感覚があったと。

「ですね。この先はわからないですけど、そのときは成長したなと思えたんです。それで、もっとポップで明るい音楽に興味が出たんです。もーっと前は、すんごく暗い歌を歌ってたんです。で、ちょっとずつ明るくなってきて、って感じですね」

——自分の人間的な成長と共に、やりたい音楽も変わったんですね。

「ほんと、そんな感じです。その頃、アルバムを作ろうって話が出て、今回のプロデューサーのwtfさんと出会ったんです。トラックを聴いたら感覚的に〈おもしろい、この人なら任せられる〉って思ったんです。ずっとサウンド作りで信頼できる人を探してたんで、いい人と出会えたなって。そのときが、〈こういう音でやっていこう〉って覚悟を決めた瞬間でもあったんですよね」

 

カテゴリ : .com FLASH!

掲載: 2011年07月06日 17:59

インタヴュー・文/土屋恵介