林美智子
「好きな音楽とのつながりのなかで聴いてほしい」
『ベル・エクサントリック〜林美智子ベル・エポック歌曲集〜』を一言でいうなら、フランス、19世紀末から20世紀初頭のパリを、何らかのかたちで〈通過〉した人たちの歌で構成されたCDだ。
「このアルバムのために集めてきたわけではないんです。いろいろな時期、いろいろな機会に出会ったり、演奏してきた曲の中で、パリにまつわる曲を集め、ひとつのかたちとして発信できるかな、と。自分のなかではごく自然な流れでした」
〈メロディ〉と呼ばれるフランス歌曲というよりは、〈シャンソン〉や、メロディとシャンソンのあいだにあるような親しみやすい曲がならぶ。
「ドビュッシーもフォーレも素敵な曲が多いです。でも、今回選曲したのは、良き時代の美しき旋律、そしてわたしが〈美しい〉〈いい〉、と感じるものです。詩がよくて、それでいて硬質にならず、様式感が先行しないような。もっと自由で大きな広がりでまとめた、とでも言いましょうか」
ベル・エポックへのおもいいれは?
「憧れでしょうね。21世紀のいま、日本人として生きている自分が眺めてみて、いろいろな意味で、豊かな時代だったんだな、と。なぜパリかな、どうしてこの街なのかな、と考えるんです。若い頃はパリの良さって全然わからなかったけれど、このごろ変わってきて。今、こうしたアルバムをつくれるのはタイムリーでは? と。こういう選曲を理解していただいて、リリースさせていただけけたのは、本当に幸運でした」
冒頭にあるのがストラヴィンスキー《アヴェ・マリア》。それも新しく編曲された三声のコーラスを、自らの多重録音で。
「自分の声で多重録音することに興味がありました。心から信頼を寄せている河原之さんのピアノに支えていただいておりますが、《カディスの娘たち》は大萩康司さんのギター、《ジュ・トゥ・ヴ》は三浦一馬さんのバンドネオンに加わっていただき、アルバムとして変化をつけています」
アレンジを加えた曲がスパイスとなり、メリハリもついて、全体の感触も微妙に変わってくる。
「クラシックが好きな方はもちろんですが、ほかの音楽が好きな人に聴いていただきたいんです。今好きな、今聴いている音楽とのつながりのなかで。ジャンルっで音楽を聴くことはもったいないと思います。音楽は〈ひとつ〉として、自分のルーツに重ねて聴いて頂けたら嬉しい。ここにある曲をロック調にしてみたり、詩を変えてみたり、自分の歌い方、自分の表現でやってみたら、と考えるのも面白いと思います。表現の幅、可能性はどんどん広がっているし、何か感じて、こういう音楽も自分の音楽のなかにあるかな、って」
さまざまな言葉で歌をうたっているが……。
「国によって音楽の形式やその他、全然違いますよね。ただ、どの言葉であっても、言葉があるということは意志が存在しているわけです。だから、自分がどう感じるか、が大事になります。気持ちを表現するということ、感じるということに関しては何語でも共通でしょう? 美味しかったり楽しかったり傷ついたり。そういう感情に素直にむきあって、何かしらを伝えてゆく。そのためにうたわせていただいているんだと思うんです。だから、コンサートでも録音でも、チャンスをひとつひとつ大事に、消化して、何かを伝えたい」
オペラの舞台と、リサイタルのステージの違いは?
「オペラはすでにキャラクターが、つまり時代、国、家系、年代など、決められています。そしてドラマが中心。つまり、キャラクターのなかで如何に感じきるか、言葉をどう感じてどう表現するかが重要です。そもそも〈わたし〉ではなく、第三者をとおして自己を表現しているんです。音楽の流れの中に自分を委ねて表現しています。一方、リサイタルはもっと自由。いろんな年齢、背景のひとがそのときの感情を凝縮して1曲が成り立ち、幅広く多彩な表現を披露しなければなりません。とは言っても、自分という存在は否定できないので、結局は自らをとおして、ということになりますが(笑)。オペラを聴いて頂くなかで、個としての、〈林美智子〉のうたを聴いてみたい、と言われたりすることで、表現者として何かを伝えてゆかねば、ということに気がつきました。リサイタルで、ひとりでうたうというのはオペラと違ってストレートに届きますよね? だからこそ、私のうたで何かを感じていただいたり、元気になったていただけることが、自分自身にとっても重要なのだと。人生に行き詰まった人が、私のうたを聴くことで、前向きになることがあるかもしれません。そんなもしかしたらいるかもしれない〈ひとり〉のために表現することを理解しているから、リサイタルへの考えが大きく変わりました。だから、オペラとリサイタル、まるっきり違います。とはいえ、大きくは、〈歌〉として一つにつながってゆくものではあるけれど」