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インタビュー

大江千里

憧れのジャズ・ピアニストとして

キャロル・キングは彼女自身が認める通り、偉大な歌手ではない。だからこそシンガー・ソングライターとしての彼女は、たとえ自分の歌声に乗せても、聴き手の心を掴むような曲を作ることを心がけているという。そんな彼女の曲に耳を澄ますと、素朴で親密感あふれる歌心が聞こえてくる。ジャズ・ピアニストとしての大江千里の立場は、キャロル・キングに似ていると思う。『Boys Mature Slow』の自著ライナーノーツには、こう書かれている。「このアルバムのコンセプトは、早弾きをしない、技をあまり使わないピアニストが独特の価値観で“美学”を追求しているという青写真でした」。そして、“楽曲が活きる”ということを第一義として作ったとも書かれている。

83年から日本でシンガー・ソングライターとして活動していた大江は、2008年に単身ニューヨークに渡った。そして今年5月、地元の音楽学校を卒業し、ほぼ同時にジャズ・ピアニストとしてのデビュー・アルバムを発表した。大江自身は、ニューヨークで『APOLLO』(90年)を録音していた頃からジャズ・ピアニストになりたいと漠然と思っていたそうだ。

「アメリカに渡ったのは、昔からずっと気になっていたジャズの謎を解き明かしたいと思ったから。ただ、年齢も年齢ですし、実際に自分がジャズ・ピアニストになれるとは思っていませんでした。ただ、アメリカに渡る数年前から自分の周りで人の死がいくつか重なったこともあって、後悔のない人生を送りたいと思うようになり、挑戦することを決断しました」

ジャズとの出会いは、10代の頃に遡るという。

「大阪のアメリカ村にあるレコード店で、ウイントン・ケリーやクリス・コナー、トニー・ベネットなどの中古盤を手当たり次第買い、真剣にジャズを聴き始めました。そのうちにジャズのハーモニーやスケールについて知りたくて、ジャズ・ピアニストの藤井貞泰氏の教則本で勉強した。でも、難しくて何度も断念しました。その頃はポップスを作曲し、自分で歌うということに面白味を感じ始めた時期でもあったので、そのままそっちの世界に向かいました。でも僕のポップス系の曲には、たいていスタンダードのコード進行が使われています」

『Boys Mature Slow』はすべて自作曲。その意味では、ジャズ・ピアノで歌うシンガー・ソングライターのアルバムという言い方もできるが、曲作りに対する意識の変化について尋ねた。

「シンガー・ソングライターのときは“自分の音楽”というコンセプトが中心にありましたが、今は一歩引いて曲を書くようになりました。具体的には、漠然といい曲を書くという姿勢ではなく、まず最初にどういうテイストの曲を書くのかということを明確にし、自分の曲をよく分析しながら作曲をするようになりました。こうすることによって、自分の音楽の幅が広がってきたと思います」

現在の大江には、2001年にクラシックの作曲家としてのアルバム『Fantasies & Delusions』を発表して以来、ポップ・アーティストしての第一線から退いたビリー・ジョエルのイメージも重なる。果たしてシンガー・ソングライターとして復帰する可能性はあるのだろうか。

「ビリー・ジョエルのあのアルバムには影響を受けました。一つのジャンルである程度やってから別のジャンルに移行していいんだ、ということを教わった気がします。自分の中でシンガー・ソングライターとしての第一期は終了している。もし死ぬまでに再び歌うことがあれば、それはそれで楽しいかなとも思いますが、今はピアノで歌心をメロディーに乗せることに没頭しています。で、もしピアノのメロディから詩が聞こえてくるような曲を作ることができたら本望です」

大江千里がジャズ・ピアニストになるきっかけとなったアルバム

シンプルに演奏することがどんなに素敵で美しくそして難しいものかをおしえてくれた、僕にとって「心のよりどころ」なモンクのソロ・アルバム。初めてこのアルバムを聴いたときに僕は必ず将来ジャズ・ピアニストになりたいと思ったのです。《格好悪いふられ方》がヒットしている頃、NYで、でした。自分が今も演奏に煮詰まると、無意識に寺小屋に戻るようこれをひたすら聴いています。きっと僕の原点でもあり、おそらくゴールでもある究極ともいえるピアノ・アルバムです。作曲家としてのモンクも大好きです。転調があざやかで素晴らしく、《ask me now》なんかマジでちびりそうになります。

聴くたびにこのアルバムの空気に胸が締め付けられます。僕は彼の演奏にいつも、茶道にも似た所作を感じるんです。その全てに意味があって、聴く者のイマジネーションと合わさったとき、静かに完結する美学のようなものを。ジャズというひとつの音楽のジャンルを飛び越えた永遠にヒット・チャートに君臨し続ける名アルバムです。ビル・エヴァンスはラヴェルなどにも通じるので、音楽全体を心と身体で味わえるアルバムだと思います。

《Nica's Dream》っていう大好きな曲があるんですが、作曲家としてのホレス・シルヴァーから多くの影響を受けました。行き過ぎない配分というのが素晴らしく、バランスがいいのです。尚かつ、リズム的にもソフィステイケートされたメロデイはものすごくキャッチーでその完成度に唸ります。アンサンブルの中でいるピアノの格好いい存在の仕方というのも彼のスタンスが大好きです。決してでしゃばらず、一旦弾き出すと典型的なチャーチの世界がぐりぐりはちきれる。書く曲はほんとに、ブルースからバップ、ラテン、バラードと幅広いのですが、捨て曲がいっさいありません。

LIVE INFORMATION

『東京JAZZ 2012』出演決定!
9/7(金)東京国際フォーラム地上広場

http://www.tokyo-jazz.com/jp/


カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2012年08月24日 12:14

ソース: intoxicate vol.99(2012年8月20日発行号)

取材・文 渡辺亨