挾間美帆インタヴュー(ロング・バージョン) /2
アルバム『Journey to Joureny』について
──このアルバムは、いつ頃つくろうということに?
「もともとは自主制作のつもりでした。NYに留学したのが、二年前、2010年になるのですが、ちょうど私が入った時に卒業した先輩で、カナダ人のジャズ作曲家でダニエル・ジェマーソンという同年齢の作曲家がいて、当時ちょうど自分のデビュー・アルバムのための録音を終えたばかりで、こんなことをしているって私に教えてくれた。そのとき、23歳の作曲家がこんなこと出来るんだ!って思ったんです。ショックだったし、嬉しかったし、私もやってみたいなって漠然と思ったところから……できるかも、って、頭の片隅におきながら学校生活を送っていたんですね。「やっぱり出来る」って思ったのは一年生が終わる頃で、それから一年半くらいかけて、メンバーをどうするかとか、自分のバンドの編成を固めていき、曲もそのため、それを狙って書いていったりするようになりました。で、これを全部作ってしまって、録音してしまったあとに、その録音したものをレコード会社のほうにお持ちした、という。なので、とてもラッキーでした。ユニバーサルから出していただけるのは」
──楽器編成はどのように決めました?
「昔エレクトーンを習っていて、その時もずっとクラシック音楽だったし、作曲もクラシックを勉強したし、クラシック音楽に深く関わって、小さい頃から育ってきたわけです。そんなこともあって、オーケストラの音に一番馴染みがある。自分が作る音も、どうしてもオーケストラが書きたいという衝動に駆られるんです。だから、どうしてもストリングスが必要、だったし、それが大前提だったんです。さらに、トロンボーンよりホルンの音が必要、も大前提。これもやっぱりクラシカルな響きでしょう。私、オーケストラを書くとき、ホルンにカウンター・メロディでおいしいところを書く癖があるんです(笑)。そんな意味ではどうしても外せない。あとは、やっぱり演奏してくれるミュージシャンによるところが大きい。サクソフォーンの三人に頼んだところ、彼らはベース・クラリネット、クラリネット、フルートの持ち替えが大変うまかったものですから、彼らにこういう音を書くことが出来るという広がりが生まれてきました」
──いわゆるクラシックの書き方をすると、譜面というのはかなり抽象的なものとしてありますよね。逆に、ビッグバンドの場合はだいたい、誰が一番か、二番か、って想定して書ける。このアルバムでは、その中間形態に近いと考えていいのかしら?
「いえ。もう、かなり、それぞれの人、本人のために、書いています。演奏者を選ぶとき、自分が一番好きな演奏者をまず選んで、彼らと会い、ちゃんと仲良くなる。私はパーソナリティがすごくその人の演奏に出ると信じているので、彼らのパーソナリティも私にとってはかなり重要なんですね。一緒に音楽を対等に出来る人をまずは絶対に、というのも大きかった。彼らの音色とかテクニックを知った上で、その人のためにこのソロ・セクションとか、この人のためにこのメロディ、っていうインスピレーションの源はかなりミュージシャンから来たところがあります」
──ピアノを自分で弾くことは前提だった?
「えーと……ある曲は、はじめ自分の音色のために書いたので自分で弾こうという気でいました。でも、他の曲は、自分が自分の音を知って、自分のために書けるから良い、と思って弾いていたんですけど、それも追いつかなくなってきたなと薄々感じていたりしたところがあったのです。「じゃあ違う人にまかせたらどうなるんだろう」とはじめてまかせたところ、前は「そうやって弾いて欲しくなかったんだけど」とか思うことも少なくなかった。でも、このレコーディングのときは「そういうアプローチもあるんだ! おもしろいな」って素直にすごく楽しめたし、喜べるようになったので、ついにひとさまにピアノを弾いていただく時が来た、と言いますか(笑)。そんな意味で、他の方にほぼ演奏していただいて、自分で弾いたのは二曲だけに絞ることになりました」
──それぞれのメンバーを想定しながら、演奏してもらうとします。でも、譜面があったら、ほかのひとも理念的には演奏可能です。実際の音として、想定された演奏家による音楽と、そうでないものとの違い、というのはどんなところにある、と?
「もう根本的に楽譜から見る解釈が人によって違いますよね。私は私のその譜面の書き方で、こう書いたときにはこういう意味で、と言う解釈があるわけです。でも、まず、そもそも強弱記号がppp(ピアニッシシモ)からfff(フォルテッシシモ)までぐらいしかないなんておかしい(笑)。6段階、7段階くらいしかないのがおかしい。mf(メゾフォルテ)の書き方にも、mfの中に4種類くらいあっても良いぐらいだと思っているんですよ。でも、譜面には書くことが出来ないので、なるべくほかの言葉で、言おうとする。ベターな自分のスタンダードがあるんです、あたまのなかに。「mf、レガート」って書いたらこういう意味、とか、「mf、ドルチェ」って書いたらこういう意味、とか。その違いが、たぶん人によって解釈が根本から違うので、それはそれで尊重するべきことだと思いますし、でも、私がコンダクトするということになると私のセンスで替えていただくことになるか、と」
──つまり、演奏するときにはかっちりやる?
「そうですね。このアルバムではスネアの音まで指定しました」
──たしかに、オーケストラの場合、大勢の場合っていうのはそれが響きの問題になるから、必要になるのかなとは思うんだけど、でもほとんど書かない人もいますよね。演奏家にまかせてしまう。そういうふうにはあまりならない?
「これは特に自分のバンドなのでそうはならないですね。もちろん、たとえばお仕事でオーケストラの方に書くということになる。もしそれが知っている方の場合だととても書きやすいけれど、知らない方の場合だと、どのあたりはどういう音をだすのかまったくわからない、どの音が強いどの音が弱いとかそういうこともわからないので、ジェネラルなものを書きます。そうすると、その譜面から読みとる彼らの解釈でベストなものが出てくると信じて書いているわけで、書き方は全然変わってくるんですね。たとえばこれ、全部フォルテに替えたりします。その方が普遍的に「でかいんだ」って分かると思うので」
──かなり作品のコントロールはしたい、と?
「したい」
──なるほど(笑)。では、ライヴでやったときにはまさにこの大きさやつよさでやらなくてはならなくなってくるけれど、録音の場合、それなりに自由に調整ができる。そういうことは今回のアルバムではあまりしていない?
「そこはすごく不思議なところで、自分の響きというのは楽譜を書くところではかなりこだわりを持って書いているのでこういうことになるのですけど、その彼らがインプロヴィゼーションの一環として出してきたニュアンスとか、そういうものに関してはかなり許容範囲が広くなっています。なので、このメロディを、じゃあ弾いてもらいました、って言って、この二人の弾き方が全然違ったとするじゃないですか。それでも、私の中では彼はこのメロディをこういう風に取って、かたやこっちの人は「そこそういう風に弾きたかったんだね」って了解できる。それがよっぽどヘンな響きというか、ヘンなことになっていなければ受けいれられます。なので、書いているところでの想像ではかなりストイックで厳しい書き方をしていると思うんですが、演奏に出たときによほどのことがないかぎり、奏者をかなり信頼しているので、あんまり文句を言ったりすることはないんです。音色とかは言いますけど、ニュアンスとかに関してはあまり言わないですね」
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