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インタビュー

アーサー・ジェフス

受け継がれたペンギン・カフェ

ペンギン・カフェ・オーケストラは、1997年に主宰者サイモン・ジェフスの死去によって活動休止を余儀なくされた。それから十数年、2009年に子息であるアーサー・ジェフスによって、あらたにペンギン・カフェとして活動を再開した。2011年にペンギン・カフェのアルバムを見つけ、しかも、それが子息によって継承されたものだということを知った時には、なにか意志の持続のようなものを感じた。そして、その内容も期待に違わぬすばらしいものだった。

それは、父サイモンの没後10年を記念し、かつてのメンバーが参集したことがきっかけだった。それは一度きりの演奏として終るはずだったが、いつしか好評を博し、「導かれるままに現在にいたる」ことになった。子供のころから親しんだ父親の音楽を「空気のようなもの」だと言うアーサーは、自らの身に染み込んだかつての音楽を演奏するだけではなく、そこから演奏家たちのアイデアが出てくるままに新曲を作ることになった。そうしてスタジオに入りながら新曲を形にしていくことで『ア・マター・オブ・ライフ』が完成された。

そこでは、いかにかつてのペンギン・カフェ・オーケストラの名にふさわしいかという自らの判断によって新曲が選ばれる。それを本能的に聴き分ける耳を持っている、とアーサーは言う。彼が書いた曲の中で、そこからはずれてしまった作品が自らのグループ、サンドッグにおいて発表されている。

それはかつて実験音楽のレーベルからリリースされながら、より多くのリスナーを獲得することに成功したグループだった。実験のための音楽ではなく、音楽のための実験というような、音楽の側に立った実験のあり方。そうした実験とポピュラリティの両立ということをアーサーは父親から学んだと言う。

ペンギン・カフェには、どこか昔を懐かしむような感覚が求められてしまうということをアーサーはよくわかっている。しかし、それはかつてのリスナーのノスタルジアに訴えるだけのものではなく、現在に生きている音楽として演奏されなければならない。曲の核になる部分は変えてはいけない、しかし、その音楽の持っている素晴らしさをより際立たせるための変化はあると言う。たしかに、ペンギン・カフェの音楽は、かつてよりも躍動感のあるショーアップされたステージとなっていたことは特筆すべきかもしれない。それは、父の夢に現れた「ペンギン・カフェ」で繰り広げられていただろうステージを垣間見せるものだった。

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2013年02月03日 18:07

ソース: intoxicate vol.101(2012年12月10日発行号)

text:畠中実