不器用ですから……と言わんばかりの、飾り気がなくて、無骨で剥き出しで、それゆえに温かくて、優しくて、誠実な歌。今回は普遍的な名曲を生み出してきたビル・ウィザーズ、そして意識を彼と同じくするフォーキー・ソウルの名作群を紹介します!!
〈フォーキー・ソウル〉という言葉を耳にするようになったのはいつ頃からだろうか。多分に感覚的な言葉だが、恐らくそう言われはじめたのは、UKにおけるアシッド・ジャズ・ブームでテリー・キャリアーが再評価されるなどして日本にもその波が押し寄せた90年代前半のことだったと思う。アコースティック・ギターを抱えて歌うシンガー・ソングライターたちによる、温かで気分の休まるような、それでいて何らかのメッセージを孕んだ音楽。そんな〈フォーキー・ソウル〉が今回のテーマだ。
フォーキー・ソウルとは、簡単に言えばフォークの要素を持ったソウルということになる。でも、いわゆる〈フォーク〉とは違う。一説によれば、フォーキーは〈フォーク+ファンキー〉の合成語ともされるが、確かにフォーキーと称される音楽には、どこか黒人音楽的な躍動感や泥臭さのようなものが感じられる。音がグルーヴしているというか。同時に、フォーキー・ソウルというのは、そう括られる顔ぶれを見ていくと、ニュー・ソウルの一形態であることにも気付く。ニュー・ソウルとは、70年代前半に黒人アーティストがロックやジャズ、ラテンなどの要素を採り入れて提示した〈新しいソウル〉だが、なかにはフォーク的な要素を持ち込んだ人たちもいた。フォークはプロテストな一面も持つ音楽だから、メッセージ性を重んじる黒人アーティストにとっては親しみやすかったのかもしれない。『Givin' It Back』(71年)というアルバムでボブ・ディランらの曲を取り上げてムーヴメントに呼応したアイズレー・ブラザーズもそんな人たちだった。
そうしたなか、まさにフォーキーなサウンドをトレードマークとして登場したのがビル・ウィザーズである。1938年、ウェストヴァージニア州のスラブフォークという炭鉱の町で生まれ、9年間の海軍生活の後、転居先のLAでデモテープを作りながら飛行機の修理工をしていた労働者上がりのシンガー・ソングライター。サセックスと契約して放った“Ain't No Sunshine”を含む71年のファースト・アルバム『Just As I Am』では、工具箱を持って微笑むジャケの素朴さのままに、アコースティック・ギターでシンプルな音を紡いだフォーキー・ソウルが展開されていた。ほろ苦く朴訥とした歌声もそうしたフォーキーなイメージを助長したが、続く2作目『Still Bill』(72年)における“Use Me”のようなファンキー・グルーヴ曲を聴くと、彼のような音楽を語る時に使われるフォーキーという言葉は、やはり〈フォーク+ファンキー〉の合成語なのだという思いを強くしてしまう。
ライヴ盤を含む4作をサセックスで出した後、コロムビアに移籍したビルは、スキップ・スカボロー(彼はサセックスにいた男女混成グループのクリエイティヴ・ソースにビルの曲を歌わせていた)と共作した“Lovely Day”などでメロウ路線も開拓。80年代に入るとグローヴァー・ワシントンJrと共演した“Just The Two Of Us”でアーバンな色合いを強め、その路線で85年作『Watching You, Watching Me』を仕上げるも、元・修理工でアコースティック・ギターが似合う素朴な男にとっては、そこまでが限界だったのだろう。以降、業界のシステムや人間関係に不満を感じたビルは、音楽から身を引いてしまう。数年前には一度客演仕事をしていたが、いまだに復活の気配はない。自分のことを〈扱いにくい頑固な男〉とも話していたビルは、とにかく筋の通った男なのだ。デビュー時からほとんど直観で曲を書いていたというビルの音楽は企みのないシンプルなものであるがゆえに、彼という人間の骨っぽさを浮き彫りにし、厳しくも優しいその人となりを聴く者に伝えてきた。そんなビルの素顔を伝えるのに相応しい音、それがフォーキーなサウンドだったのだ。
フォーキー・ソウル。それは、虚飾なく生身の体で勝負したい者たちが魂を解放できる音楽、と言い換 えてもいいのかもしれない。
▼関連盤を紹介。左から、クリエイティヴ・ソースの73年作の増補復刻盤『Creative Source...And More』(Mercury)、“Just The Two Of Us”を収録したグローヴァー・ワシントンJrの80年作『Winelight』(Elektra)、ビルとマルーン5の共演曲を収録した2006年のサントラ『Hoot』(Mailboat)