INTERVIEW(4)――2人で100点
2人で100点
――あともう1曲お訊きしたいのは、最後の“Freedom FOREVER.”。ど直球な歌モノですけど、最後の1分強の登り詰めていくエンディングがすごく良いなと思って。
塔山「嬉しいですね。一般家庭だとなかなか難しいかと思いますけど、スタジオのモニターの間に座って聴くとヤバいですよ。頭が洗われますから、ほんとに。俺、最初に聴いたときに〈うおお~!〉って寒気がしましたもん。〈気持ち良い!〉って。去年、唯一俺が観た洋楽の、フレーミング・リップス先輩のフレイヴァ―は入れたいですから。大好きですから。で、エンジニアがまた、デイヴ・フリッドマンが大好きなんですよ。その2人の大好き感が詰まってますね」
――とはいえ、ここまでストレートな曲調の楽曲も珍しいですね。
塔山「それはね、ファーストのときに書いた曲なんですよ。ギター持ってコードからやってこうみたいなときに書いた曲なんですけど、あえて音源にしてなくて。で、さっき言った『Tarkus』の理論で言うところの、自分たちの最初の『Zoo&LENNON』の頃のアイデンティティーというか、〈シンプルな歌で詞を伝える〉っていうのを最後にもっていこうと。いままでのものを進化として消化していきたいんで、デモの完成されてるイメージがあったんですけど、再録しました。発表してなくて、悪く言うと作った当時に置き忘れてきてるデモにも、音的には違っていてもブレてない芯の部分があるから、いまの音で収録できるんですよ」
――歌もいままででいちばん力強い曲ですよね、この曲は。
J.M.「これは、それぞれのいちばん良いテイクっていうよりも、塔山さんが入れたテイクに自分が合わせて、いちばんハーモニーが綺麗なテイクを選んでて。たぶん、それぞれが100点じゃないテイクでも、合わせると……」
塔山「コーラスが入るときは、2人で100点になる。そういう感じで選んでるんだと思います。逆にひとりひとりが100点でもつまんないんですよね」
J.M.「違う方向にいってるってことなんで」
塔山「だから、俺のピッチもキーも合ってる、この人のピッチもキーも合ってる、でも2つを合わせても、まあまあいいな、っていうぐらいにしかならなかったりする。それが、俺のキーは合ってる、で、この人のキーは合ってないんやけど、2つを合わしたときに聴いてていやじゃなかったりするんですよ。ボブ・ディランとかもそうじゃないですか。音楽的に見たらキー外れてるのとかもあるんですけど、全然ロックで大丈夫なんですよ。気持ち悪くない。それも結構重視してるんですよね」
――そこもアンサンブルですよね。
塔山「そうです、そうです」
――個々ではなく、トータルで良いかどうかっていうところで。
塔山「あのね、トレント・レズナーって、ドラムとかはわざと機械的にパキッ、パキッてやってるのに、ヴォーカルは〈ほんとにええの? そんなブレス入ってて〉っていうぐらいガツガツいくんですって。エンジニアが最初に録ったときにびっくりしたらしいです。その人間の出す、不自然さとか揺らぎみたいなのを機械のものに足すことによって、機械だけでも出されへん、人間だけのロックだけでも出されへんものをやりたいっていうのは決まってたらしいんですね。それがすげえ格好良いなと思って。だから、今回の俺たちの音源もブレスがバッキバキ入ってて……それがよかったりするんですよね。そういう感覚でやりたいんです」
――ちなみにリード曲“シエロ・ドライブ・10050”のタイトルってナイン・インチ・ネイルズの『The Downward Spiral』が生み出された場所でもありますけど、トレント・レズナー精神っていうのは今作の底にあったりするんですか?
塔山「そうですね。いっとき俺、〈トレント山レズナー臣〉って名乗ってましたからね(笑)。やっぱり勇気づけられますよね、すごく。それまでは〈デジタル・ロックね〉みたいに投げ捨てられてたものを、彼はメインストリームで〈ロックだ!〉って言わせるぐらいの状況を作ったと思うんですよ。あと、彼は一応ひとりで始めてるじゃないですか。ナイン・インチ・ネイルズっていう母体はあるけど、結局〈ナイン・インチ=トレント・レズナー〉みたいな評価がされるでしょ? でもライヴはメンバー入れてやってる。その都度メンバーが変わるっていうことは、メンバーも大事だからいろいろ試してるわけで、そこがうちとリンクする部分もあるから、勇気付けられるというか。だから音だけじゃなくて、精神的に支えられてるところはありますね」
こんなのもあんねんで?
――あとちょっと歌詞の話もお伺いしたいんですけど、基本的に、言いたいことっていうのはこれまでとあまり変わらないかなと。
塔山「そうですね。常に不満だらけなんで(笑)」
――でもね、怒りとかもありつつ、奮い立たせるっていう意味では、今回はご自分に向かってるところが大きいのかなっていうのと……。
塔山「ああ~、そうですねえ」
――これまで以上にセンティメンタリズムが表出しているような気が。
塔山「俺なんて、センティメンタルの塊ですからね。センティメンタルが服着て歩いてるようなもんだから。メタラーですからね。センチメタラー」
――(笑)あんまりそういうところを出したくないのかもしれないけど……。
塔山「たぶんね、映し鏡というか……基本的にはみんなに向かってるんですよ? 向かってるんだけど、みんなに言いたいからこそたぶん、自分の内面が出てくる。みんなを励ましてるんだけど自分を励ましてる部分もあるだろうし……自分が思ってることを出すとそうなるんでしょうね。おセンチな部分も出るんじゃないですか? やっぱり。内面の部分がより掘り下げられるから」
――“ENKAと55拍子”の歌詞には直接的にありますけど、いろんな楽曲のなかで、ボビーさん(昨年亡くなったマネージャー)を感じるところもありましたね。
塔山「うん。大きい出来事でしたからね、すごく。だから、そうですねえ……例えばコラムとかを書くときでも、ボビーさんのことを直接書かなくても、真剣に物事を捉えて見つめる方向になっていきますからね。それは別にマイナスな意味じゃなくて……時間は永遠ではないじゃないですか。それだけにいまやれることをやっぱりやりたいし、やらんと損やなと思って。ホントにカンフル剤になってますよ。センティメンタルな詞を書きつつも、そこにはボビーさんとの時間があったからこその、絶対的な希望みたいなのがあるんで。だから、〈ここから何できる?〉っていうところをいちばん表現したかったですし」
――それがあるからこそ、Twitterで塔山さんが『【電子音楽の守護神】』の主人公だっておっしゃっていた3曲目のタイトルが“レイモンド K ハッセル”なんですね。
註:レイモンド K ハッセル→強盗に遭うことによって、人生が前向きに転じる映画「ファイト・クラブ」の登場人物
塔山「そうですね」
――何があってもそれをバネをして前に進んで行くんだ、っていう意志が、今作の全体から感じられました。
塔山「(J.M.に向かって)あんたも喋っとき。もったいない、話きいてくれてるんやから」
J.M.「なんかね、ボビーさんが亡くなってから環境とか、いろんな方面で孤独を感じる場面が多かったんですけど、でもその影響はこの作品までで区切りをつけたいなっていうのはありますね。いい意味で」
塔山「それがたぶん、言葉にしたらあれですけど、ボビーさんも望んでることだと思うんですよね。俺の屍を越えていけじゃないけど、いま言ってくださったみたいに、今回はいやでも影響が出てる。でも、それをいい方向に出せたと俺は思ってるんで。だからこそ、これはこれで完結させて、次また挑戦するっていう。いまから俺たちが名作を作ることをめざしていくなかで、そこに向けてのターニングポイントになってると思うんですよ、自分的には」
J.M.「今後の基盤にはなりますよね。メンタリティーの面でも、音作りの面でも。今回の音源を作って自分のなかで決まったことがあったんですけど、聴いてる人を置いてくっていうことと、かつ、必ず結果を出すこと。この2つはすごく固まった」
――それってまさに『Tarkus』の話じゃないですか? リスナーとしては、置いてかれる快感ってあると思いますよ。
J.M.「それまでの期待に応えようとして、音にちゃんと向き合えてないアーティストもいると思うし……」
塔山「たぶん、まんまお客さんに合わせにいってたら、その人の作曲って、音楽的にはめっちゃお客さんを裏切ってることになると思う、俺。俺たちはやっぱり、〈こんなのもあんねんで?〉っていうのを常に出していきたいんですね。それに対してお客さんが〈おもしろそうだな〉って近寄ってくる感じの関係でいたいんです。お客さんと繋がるっていうのは、お客さんに赤い絨毯敷いて〈こっちですよ〉って世話するんじゃなくて、〈ついてこいボケ!〉ぐらいのテンションでやっていきたい。まあ物販ではハグとかして媚びますけどね(笑)。女性限定ですけど」