ヴァイオリニスト伊藤万桜のデビュー・アルバム!『フレッシービレ』(SACDハイブリッド)
ブーケの香りに包まれたソワレから
たおやかな優しさと、凛とした芯の強さを併せ持つ伊藤のその演奏からは丁寧な楽曲分析と解釈の痕跡が随所に窺えると同時に、徒に偏った表現に走ることなく、あくまで作品に対しての素直な姿勢と敬意が際立つ。それは、単に作曲家の意思を尊重するというレベルよりもさらに深いところで、その曲が最も自然に無理なく奏でられる「あるべき姿」を模索している、極めて謙虚、かつ妥協を許さない演奏家の横顔でもある。演奏技術の高さを誇ったり、独りよがりの解釈に酔ったりするパフォーマンスとは対照的なその姿勢は、まさに音楽の「自然(じねん)」を模索する謹直さそのものだ。そして、花鳥風月という森羅万象の「法(のり)」に沿ったものが、その「自然」の美しさですべからく人を癒し慰めるように、伊藤のヴァイオリンは聴く者をして、いつまでもその音楽に身を委ねていたいと思わせる魅力に満ちている。(山田良ライナーノーツより)
(ナクソス・ジャパン)
『フレッシービレ』
【曲目】
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18
1. 第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
2. 第2楽章 即興曲:アンダンテ・カンタービレ
3. 第3楽章 フィナーレ:アンダンテ-アレグロ
エドヴァルド・グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調 作品45
4. 第1楽章 アレグロ・モルト・エド・アパッショナート
5. 第2楽章 アレグレット・エスプレッシーヴォ・アラ・ロマンツァ
6. 第3楽章 アレグロ・アニマート
7. セルゲイ・ラフマニノフ:ヴォカリーズ 作品34-14
8. ジュール・マスネ:タイスの瞑想曲
【演奏】
伊藤万桜(ヴァイオリン)
山﨑早登美(ピアノ)
【録音】
2021年5月24日&25日
SACDハイブリッド盤
レーベル: アールアンフィニ
企画制作: ソニー・ミュージックダイレクト
発売: ミューズエンターテインメント
<自然(じねん)の桜、ほころんで~伊藤万桜デビュー・アルバムに寄せて>
ヴァイオリンという楽器が出す音は、人の声に似ているとしばしば言われる。500年ほど前に忽然と、ほぼ完成形でこの世に現れたという、決して大きくないこの擦弦(さつげん)楽器は、数あるインストゥルメントの中でも奏者の個性がダイレクトに伝わってくる印象があるが、それはすなわち演奏する人間の心の声(voice)を、その音で如実に表すからなのかもしれない。
今日ここに、魅惑的な“new voice”が現れた。強烈なインパクトを持った音で聴く者を時に疲れさせるヴァイオリニストも少なくない中、この新たな「声」は、いつまでも聴いていたいと思わせるほどに、柔らかで伸びやかだ。伊藤万桜。彼女の演奏を耳にする時、抜けるような青空を背景にした飛行機雲、あるいは春の季節に芽吹いた植物の若枝が思い浮かぶ。
Flessibile(しなやかな、なめらかな)という音楽用語も連想させるそれは、単に直線的なモチーフだというだけでなく、どこまでも伸びていく真っ直ぐなエネルギーと共に、どこか柔らかな輪郭も感じさせる「いのち」のこまやかさを感じさせるイメージだ。
たおやかな優しさと、凛とした芯の強さを併せ持つ伊藤のヴァイオリンの「声」は、彼女自身が音楽に対して素直に、かつ真正面から取り組んでいることの表れでもあるだろうが、この素晴らしい「声」が生まれるためには、天が彼女にもたらした様々な幸運も必須であったろう。「手にした最初からしっくりと馴染んだ」という愛器(1750年製イタリアン・オールド)との出会い。10年以上演奏を共にしてきたという伴奏者、山﨑早登美氏の存在。このファースト・アルバムが、素晴らしいバランスを保った録音で演奏の魅力を最大限に引き出したアールアンフィニ・レーベルからリリース、というのも、幸いなる縁の一つだろう。
もちろん、そうした幸運を生かす基盤には、伊藤自身の音楽への真っ直ぐで深い想いと、弛まぬ努力の賜物に違いない確かな演奏技術がある。このアルバムに収められたR. シュトラウスとE. グリーグの作品は、2019年に彼女が東京音楽大学を卒業して間もなくにリサイタルで演奏したという記念の曲であるというだけでなく、彼女自身お気に入りであるということだが、その演奏からは丁寧な楽曲分析と解釈の痕跡が随所に窺えると同時に、徒に偏った表現に走ることなく、あくまで作品に対しての素直な姿勢と敬意が際立つ。それは、単に作曲家の意思を尊重するというレベルよりもさらに深いところで、その曲が最も自然に無理なく奏でられる「あるべき姿」を模索している、極めて謙虚、かつ妥協を許さない演奏家の横顔でもある。
こうしたストイックさの背後には、もしかしたら、彼女がかつて最も好きだった学科が「数学」だった、ということとの繋がりもあるかもしれない。「ただ一つの答え」を求めて問題に取り組む醍醐味を知る一方で、「決して答えが一つとは限らない」音楽を奏でる道を選んだ伊藤の、柔らかなうちにも一本筋の通った演奏を聴く度、私は「自然」という言葉が思い起こされる。19世紀末にNatureの訳語として採用されるよりも遥か前から「じねん」という音で表される日本語として存在していたこの言葉が意味するところは、「自ずから然らしむ」、つまり「あるがままの状態」である。一見混沌を単純肯定するかのようなこの言葉が含むものは深い。全てのものが「あるがまま」であるとは、すなわち「あるべきように」存在しているということであり、物事のあり方についての究極の答えであると同時に、全てを包括する大らかさも備えた観点だからである。伊藤万桜の演奏を聴いていると、それぞれの作品の「あるべきよう」を丁寧に読み解き、それをどれだけ素直なかたちで己の「声」で表現できるかに心を傾けているように感じられる。演奏技術の高さを誇ったり、独りよがりの解釈に酔ったりするパフォーマンスとは対照的なその姿勢は、まさに音楽の「自然」を模索する謹直さそのものだ。そして、花鳥風月という森羅万象の「法(のり)」に沿ったものが、その「自然」の美しさですべからく人を癒し慰めるように、伊藤のヴァイオリンは聴く者をして、いつまでもその音楽に身を委ねていたいと思わせる魅力に満ちている。
伊藤はまた、聴衆との関係を大切にするヴァイオリニストでもある。コロナ禍以降、各種配信をはじめ、聴き手側に演奏を届ける選択肢が俄に増えたが、その中でもやはり生演奏を直接聴いてほしい、と伊藤は言う。聴衆の反応がダイレクトに伝わるライブ演奏の場では、弾いている間中、絶えず聴衆と見えない「やりとり」があるから、と。伊藤の演奏の印象を尋ねると、そのゆたかな「うたごころ」を挙げる人が多いと聞くが、演奏しながら自分が感じているものを聴衆にもできるだけ届けたい、分かち合いたいという本人の言葉を聞くと、それも頷ける話だ、と思う。
インタビューの際に、名前の漢字の由来を尋ねたら、春の生まれであることと、「(世界)万国に咲く日本の桜」のようであってほしい、というご両親の願いに依るものだ、という答えだった。長引くコロナ禍下、演奏会やコンサートの場に気軽に足を運ぶことが難しい状況が続いてはいるが、この間にも次々と新しい楽才の花々が生まれ出ている。伊藤万桜も、薫り高いその一つである。今ほころんだばかりの「自然の桜」が、めぐる季節の中で成長し続ける姿を、一人でも多くの聴き手と共に見届けていきたいと思う。
(山田良)
<伊藤万桜(ヴァイオリン) Mao Ito, Violin>
東京都立芸術高校、東京音楽大学音楽学部音楽学科器楽専攻卒業、卒業演奏会に出演。同大学大学院音楽研究科、およびパブロ・カザルス国際音楽アカデミー(フランス)にてマーク・ゴトーニ氏、ヴィチェンツァ国立音楽院(イタリア)にてアルベルト・マルティーニ氏、またアントン・ルービンシュタイン国際音楽アカデミー(ドイツ)、橋本京子氏(ドイツ)のもとにて研鑽を積む。
2012年日本イタリア協会推薦にてイタリア国際フェスティバル(イタリア)、2014年カザルス国際音楽祭(フランス)、2014年大学より奨学金を得てバイエルン州立青少年オーケストラとしてジョナサン・ノット氏指揮ニューイヤー・コンサート(ドイツ)、2015年キルヒベルク国際音楽祭(ドイツ)に出演。2016年第31回練馬区新人演奏会にて東京フィルハーモニー交響楽団とチャイコフスキーの協奏曲を共演。また、NHK「名曲アルバム+」、BSフジ、OTTAVA、ラ・フォル・ジュルネTOKYOに出演。第7回日本管弦打楽器ソロ・コンテスト第1位及びクリスタルミューズ賞、第16回KOBE国際音楽コンクール第2位及び兵庫県芸術文化協会賞、第4回公益財団法人樫の芽会樫の若木賞他受賞。
2019年東京文化会館小ホールにて文化庁/日本演奏連盟主催新進演奏家育成プロジェクトリサイタル・シリーズ伊藤万桜ヴァイオリン・リサイタル開催。2020年シュロス国際音楽アカデミー(ドイツ)主催CLASSIC@HOMEにてヴィエニャフスキのファウスト幻想曲が動画配信される。2021年2月東京オペラシティリサイタルホールにて文化庁助成/日本演奏連盟後援リサイタル開催。同年11月アールアンフィニ・レーベルよりデビューCD「フレッシービレ」(当該CD)をリリース。
ヴァイオリンを大谷康子、海野義雄、神尾真由子、嶋田慶子、漆原朝子、村瀬敬子、山岡耕筰、マーク・ゴトーニ各氏に師事。室内楽を山口裕之、店村眞積、横山俊朗、大野かおる各氏に師事。日本演奏連盟、練馬区演奏家協会会員。
(2021年8月現在)
<アールアンフィニ(ArtInfini)について>
アールアンフィニ・レーベルは、株式会社ソニー・ミュージックダイレクトと、株式会社ミューズエンターテインメントとのパートナーシップによるクラシック専門レーベルです。世界的に活躍する才能溢れるアーティストのCDアルバムを定期的に制作、リリースしています。
アールアンフィニはフランス語で「永遠の芸術」の意味。一貫してマーケットに迎合することなく、アーティストが表現したいことを純粋に追求しています。制作過程においては、全てのアルバムにおいてDSD方式でプロダクションされたマスターを使用、スイス・マージングテクノロジー社のDAWピラミクスにてDSD11.2MHz、またはDXDフォーマットでのレコーディングを行っています。マイクロフォンが捉えた信号を極力劣化させないようラインの最短化を図り、ステージ上のマイクロフォンの直近で収録されたアナログ信号をDSD、DXD信号に変換後、RAVENNA(AES67)で伝送しています。また動的リスクを回避するため記録媒体は厳選されたSSDを使用、さらにレコーディング〜編集〜マスタリングまで全ての電力は、高品位なリチウムイオンバッテリーで供給されます。アナログ、デジタル領域共に、まさに究極とも言える高品位化を実現しています。
カテゴリ : ニューリリース | タグ : 高音質(クラシック) SACDハイブリッド(クラシック)
掲載: 2021年10月20日 00:00