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インタビュー

Nelly

セントルイスから世界をブチ抜いた大砲、ネリー。その類い希なる〈オレ節〉がふたたび世界を震わせにやってきた。いま、間違いなくコイツが最強だ!!

成功者として作り上げたアルバム


「成功というものは、多くの人の最高の側面と最低の側面を引き出してくれるんじゃないか。すでに成功した人だけじゃなく、成功しかけてる人にとってもそうだね。成功することは大変だけど、同時にホッとする部分もあるんだ。交友範囲がある程度まで小さくなっていくのがわかるからな。他人がどう考えているかなんてわかるもんじゃない。だからオレは人が離れていくならそうさせているんだ。まあ、たいていはいい奴らに囲まれ、そいつらに支えられている。なかには見返りを求めず、オレのために最善を願ってくれる奴もいるものだよ」。

 現在、アメリカン・ドリームという言葉はすっかり死語となっているのかもしれないが、ネリーの成功は確実にアメリカン・ドリームの一例として捉えることができるだろう。デビュー・アルバム『Country Grammer』たった1枚の爆発的なブレイクにより、それまで世間的に無名だったネリーは、みずからの存在だけでなく、彼の出身地であるセントルイスという土地をヒップホップ・シーンに強く刻みつけた。そしてその1年後には、自身の成功がラッキーな一発屋のそれではないということを、みずからもメンバーに名を連ねるグループ、セント・ルナティクスのヒットで証明してもいる。

 アメリカン・ドリームを体現した人間のなかには、その名声に溺れ、心身を滅ぼしてしまう者も少なくない。みずからの意志の弱さや、その人の名声につけこみ立ち入ってくる人間が増えることによって、転落の穴が大きな口を開いて待ち構えるような状況に陥ってしまいがちだ。しかし、ネリーに限ってはそのような心配は無用だった。彼は自分を取りまく環境の激変に踊らされることもなく、冷静に自分の在るべき姿をキープしながら前を見据えている。

 デビューから2年。その間には、先述したセント・ルナティクスでの成功があり、サントラへの楽曲提供や他アーティストの楽曲への客演も多く残している。常に引っ張りだこの活躍であったため、不在感は全くなかったが、このたびようやくセカンド・アルバム『Nellyville』がリリースされる。環境の変化は、作品作りという点に何かしらの影響を及ぼしたのだろうか?

「今回の『Nellyville』には、『Country Grammer』と同じような要素も入っている。でも、あきらかに前のアルバムと同じ枠組とか様式だけじゃないよね。状況的にも違ったんだ。前のアルバムのとき、オレは基本的に地元にいたんだけど、今回はツアーに出たりしながら作ったものだし。だから『Nellyville』は、900万枚も売った『Country Grammer』が前にあったからこそ生まれたモノっていう感じだな。いいところもあれば悪いところもあるだろうけど、だいたいはオレのやりたいようにやれた。オレはおもしろおかしくやっている時がいちばん楽しいんだ。……オレの人生は子供の頃から辛いものだった。ワクワクするような時代じゃなかったんだよ。だから、そういうことをわざわざラップする気にはならないし、曲中にいつもそういった要素が必要だとは思わないね。もちろん、ときどきはそういう過去にも触れるし、辛い経験を忘れることはないだろうけど、アルバムの大部分は、単純にロックンロールな感じだよ(笑)」。

 そう話すとおり、ネリーの少年時代は、決して恵まれていた環境ではなかったようだ。父と母の間を行ったり来たりして育ち、ストリートをぶらつき、自分に構ってくれる相手なら誰とでもいっしょに過ごした。そして、ストリートの仲間たちと過ごす時間が増えたことで、メジャー・リーグのキャンプに参加するほどの実力だった野球の道も閉ざされてしまった。しかし、ラップがそういう環境から彼を救い出し、それどころか、全世界にその名を知られるトップ・アーティストにまで押し上げたのである。その成功の要因をネリー自身はこう分析している。

「オレたちが、新しいエリア、新しい人材、新しいサウンド……みたいな、なにか新しくて既存の枠に当てはまらないものだったからじゃないかな。オレは自然に沸き上がるものをやっているだけなんだけどさ。うん、メチャクチャ深く考えたりはしないな。その時々で、感じるままにやるんだ。自分の気持ちに正直でいようとするだけだよ」。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年07月18日 13:00

更新: 2003年02月10日 20:51

ソース: 『bounce』 233号(2002/6/25)

文/高橋 荒太郎