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インタビュー

世界に名を轟かすオキノ・ブラザーズのあゆみをギュギュッとウェイバック!!

〈1988~1998〉

 80年代後半、ロンドンのレア・グルーヴ・ムーヴメントに影響を受けた沖野兄弟は京都をベースにDJ活動を開始。アシッド・ジャズが盛り上がるなか、2人は「STRAIGHT NO CHASER」誌のポール・ブラッドショウを京都のパーティーに招き、直後に同誌チャートへの寄稿を依頼される。そして、来日したジャイルス・ピーターソンから送られた励ましのメッセージ──〈Kyoto Jazz Massive(京都でジャズを増強しろ)〉を契機に、2人はKYOTO JAZZ MASSIVEの名のもとで活動していくことになる。前後して、まだ小さなクラブでプレイしていたMONDO GROSSOと出会い、共に活動を広げていく。兄の修也は93年に上京し、94年にはユニット名を冠したコンピ『KYOTO JAZZ MASSIVE』をリリース。そこにも参加していたMONDO GROSSOやMONDAY満ちるのマネージメントを手掛け、シーンを盛り上げるフィクサーとして奮闘していくことになる。また、修也が渋谷にオープンさせたクラブ〈THE ROOM〉は日本におけるフューチャー・ジャズの拠点となっていく。一方、弟の好洋は関西を中心にDJ活動を続け、やがて大阪にレコードショップ、Especial Recordsをオープンさせる。

〈1999~2000〉

 99年、修也はブルー・ノートの設立60周年を記念した日本人クリエイターによるリミックス・アルバムをトータル・プロデュースし、KJMとして最初のオリジナル曲“Spireedom”を提供。同曲の完成度に驚いた独コンポストからのオファーで“Eclipse”をリリース。ヨーロッパにおける同曲のヒットと時を同じくして仏イエロー・プロダクションからリリースされた“Nadel Do Sol”が『Bossa Tres Jazz』やフランソワ・Kの『Essential Mix』に収録され、コンポストからの2枚目のシングル“Substream”や、コンピ『Glucklich IV』への楽曲提供、さらには数々のリミックス・ワークもあって、ヨーロッパのクラブ・ジャズ・シーンにおける評価を不動のものにする。また、修也は97年より、よりエレクトリックなプレイヤーズ・ユニット、COSMIC VILLAGEを始動させ、YMOのカヴァー集『NICE AGE』などをリリースした後、2000年にグループ名を冠したフル・アルバムをリリース。一方の好洋は2000年にショップと同名のレーベルを立ち上げ、SLEEPWALKERらのシングルをリリースしている。


『Bossa Tres Jazz』(Yellow Production)

〈2001~〉

 クロスオーヴァー・サウンドが日本にも定着した2001年、KJMはまずベベウ・ジルベルトと組んで名曲“The View From Her Room”をリリース。アナンダ・プロジェクト“Bahia”に好リミックスを施したほか、SOUL BOSSA TRIO、ニコラ・コンテ、ファウナ・フラッシュ、ル・ガンマらのリミックスも手掛けている。COSMIC VILLAGEの『MIXT GENERATIONS』でも“Starseed”をリミックスし、同年夏には『K.J.M.E.P.』をリリース。修也は翌年にかけてジャザノヴァ、ススムヨコタ、ジャクソン5、KANKAWA122、orange pekoeなどのリミックス・ワークをELECTRIC SHEEPやSLEEPWALKERなどの複数名義で手掛け、並行して『THE ROOM』や、〈フューチャー・ジャズ喫茶〉なるコンセプトを提案する『SOFA』などのコンピを編むなど精力的に活動。そして、ファースト・アルバム『SPIRIT OF THE SUN』は間もなく登場する……。


コンピ『THE ROOM』(ユニバーサル)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年09月05日 16:00

更新: 2003年02月13日 12:10

ソース: 『bounce』 235号(2002/8/25)

文/出嶌孝次

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