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インタビュー

椎名林檎(2)

ずっとあったのは輪廻のイメージ

 そこで今回は、『勝訴ストリップ』でもエンジニアを務めた井上雨迩とともに、「生でやってるとあり得ないレコーディングの魅力」を追求するべく「生楽器と電子音が共存する方法」を模索しながら自宅にてレコーディング作業を開始。とある旅館の離れの部屋に機材を持ち込み、ベッドルームならぬ木造和室で歌入れを行った。「今しかないっていうような、排他的で、どんどんダメになっていく女性に一度なって。で、それじゃダメだわってことでそこから抜け出ていくようなイメージ」を具現化するため、歌入れはシングル“茎(STEM)~大名遊ビ編~”のジャケットのごとく襦袢姿で挑んだという。

「常に普通に貪欲な欲求があってっていうか、より良くしたいから生きたいっていうか。〈じゃ、なんであんた生きてるの? 死ねば?〉っていう突っ込みが入らないような、生き生きとした女性としての快適ライフをお送りしたいねっていうところで(アルバムを)終わりたかったんですけど。でも(結局はもとに)戻っちゃうよねってとこも感じさせつつ」。

 その「戻っちゃうよね」という感覚は、シンメトリーに配置されたオープニング・ナンバー“宗教”とエンディング曲“葬列”の間を行き交う、延々と繰り返されるような雰囲気のなかに顕著だ。どちらの曲も百々和宏(モーサム・トーンベンダー)や池畑潤二(JUDE)ら同じメンバーが演奏しているせいか、音的にどこかしらつながっているような印象を受ける。そしてその、ラストから始まりへと延々と続く繰り返しのイメージこそが、『加爾基 精液 栗ノ花』というアルバムを作る際に常に彼女の頭のなかに存在していたという〈輪廻〉のイメージでもあった。

「10代の頃とか、両親が〈あなたのことを思って言ってるのよ〉っていうのって、実は彼らのためなんじゃないのかって思ったりとかして。〈肉親の間では本当に無償ってあるのかな〉とか〈なんで男親は女の子には甘いのか〉とか(笑)。〈必ずそういうことがあるのはなんでか〉とか。実はそういうことをずーっと気に病んでたんですけど、それが一瞬見えた気がしたんですよね。錯覚かもしれないんですけど、分娩室で一瞬〈コレか!〉みたいな。覚醒みたいなものがあった気がしたんです(笑)。実際、子供が生まれたりすると全然そういう理屈じゃないとこにあるっていうか。母が感じてたような、結婚して子供が出来てっていう喜びとかを私も同じように感じてるんだなって。多分それってその前も同じっていうか、祖母もそうだったのかなって。じゃ、〈もしかしてヨソのお家の女性もみんなそう?〉って感じがして、なんかとっても輪廻を意識させられちゃって。そういうものを私も担っちゃってるなってことがちょっと怖くもあり、安心でもあり」。

『加爾基 精液 栗ノ花』というアルバム・タイトルにも、「女性である私が対峙してゆくもの、私が生まれた理由、みんなが生まれた理由とかきっかけみたいなものとして、精液が(子宮内に)着床するところからっていう、そのいちばん根源を見つめなければいけないんだな、常に」という彼女なりの輪廻観が反映されているという。すると、このアルバムのために特別に焼かれたというジャケットに写る〈丁度好い洋盃〉としての磁器が象徴するものは、精液が着床すべき女性の子宮、といったところか。

「ま、私は字面的にも(〈精液〉という文字が)綺麗だと思ったんですけどね」。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年02月27日 18:00

更新: 2003年03月06日 16:27

ソース: 『bounce』 240号(2003/2/25)

文/早川 加奈子

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