椎名林檎(3)
これが私のスタンダードなんで
故意に古めかしい表現を用いて歌詞表記全体の時間軸をあえて現代ではないところに設定したのも、実は輪廻の普遍性をより際立たせるという意図もあったという。
「詞世界に関しては、歌詞だけで成立してるつもりはなくて。どうしても必要な重要なフレーズとかは、音でそこに突っ込みを入れてるつもりなんで、歌詞をツルっと読んでも行間につじつまがなかったりとかすることも多いんですけど」。
確かに、そのせいか歌として耳に入った瞬間、視覚的には一見古めかしく映る歌詞も不思議なほどポップに聴こえる。また、キッチュなエレクトリック・ビートや、「わざとシンメトリーというか、関連性のあるものを同じ位置や時空に配置してみた」という、力ずくで時間軸を引き戻してくれるようなSEが挿入されるたび、歌詞のなかに潜む普遍性が生々しいほど露になるのも事実だ。その意味ではこの『加爾基 精液 栗ノ花』というアルバムは、椎名林檎のスタンダード、と呼ぶべき一枚なのかもしれない。例えば、〈死してなお我が手に入らない男〉の抜け殻を拾い集める女の執念が描かれた内田百聞の短編小説「サラサーテの盤」の妖艶怪奇な物語も、その世界観を彷彿とさせたDVD短篇キネマ「百色眼鏡」も、結局どちらもその核に描かれていたのは現代に通じる普遍の心情劇であったように。
「やっと私のナチュラルな部分が出せたかなっていう。これが私の音楽を創るうえでのスタンダードなので。それは、お遍路さんの格好も含めてってことで(笑)」。
▼椎名林檎のディスコグラフィーを一部紹介。
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2003年02月27日 18:00
更新: 2003年03月06日 16:27
ソース: 『bounce』 240号(2003/2/25)
文/早川 加奈子