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インタビュー

Ginuwine

群雄割拠の様相を呈するR&Bシーンにおいて、逞しくも濃密なソウルを紡ぎ上げる真打ち、ジニュワイン。あらゆる懊悩を乗り越え、わんぱくポニーが帰ってきたぞ!

やり残したことがあった


 ジニュワインことエルジン・ランプキンは、いまやR&B界を代表するスーパースターだ。96年に衝撃のデビューを果たして以来、リリースした3枚のアルバムはすべてダブル・プラチナムに輝いている。当時ほとんど無名に近かったティンバランドのプロデュースによる“Pony”が初めて世に出た時、その理解不能でキテレツなサウンドに誰もが驚かされ、その斬新な音に乗って歌う謎めいた男性シンガーは世間の興味を一身に集めた。ティンバランドを主軸とする一派がファミリー結成の狼煙を上げ、ミッシー・エリオットやアリーヤらと共にファミリーのメンバーとして注目を集めたジニュワインの役どころは、さしずめアリーヤ姫と対になる王子といったところだったろうか。ダークなサウンドを纏った美しくセクシーなジニュワインは一躍R&B界のセックス・シンボルとなり、ファースト・アルバム『Ginuwine... The Bachelor』は大ヒットを記録した。

 衰えを知らないティンバランドの勢いもあって、99年のセカンド・アルバム『100% Ginuwine』にはリリース当初から火が点いた。ティンバランドがプロデュースしたシングル“So Anxious”のヒットはお約束どおりであったが、ジニュワインはこの頃から憧れの存在であるマイケル・ジャクソンやプリンスへのオマージュをアルバムに潜ませるようにもなる。それはアーティストとしてのジニュワインを確立するために、彼自身がティンバランドに頼らず、自分の足で歩きはじめたことを意味しているようにも思えた。

 だがこの年から翌年にかけて、彼にそれまでの人生でもっとも辛い時期が訪れる。99年、最愛の母親がガンと診断され、その悲しみのあまり父親が自殺。翌年には母も他界し、ジニュワインは両親を相次いで亡くしてしまったのだ。彼はその悲しみを紛らすかのように酒に溺れ、何度も両親の後を追おうとしたそうだ。そんな様子を見るに見かねた友人たちが彼をスタジオに連れていくうちに、彼は徐々に立ち直るきっかけを掴んでいったという。2001年にリリースされた3枚目のアルバム『The Life』はこんな悲しみを乗り越えて作られたアルバムだった。

「この地球にやり残したことがあって、生き続けるべき理由があると悟ったんだ」とジニュワイン自身が『The Life』のブックレットの冒頭で綴っているように、彼はこの作品で自分を見つめ直し、前向きに生きていく決心をする。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年05月01日 13:00

更新: 2003年05月01日 18:48

ソース: 『bounce』 242号(2003/4/25)

文/石島 春美