FIRE BALL(2)
客が5人、10人のとこからやってきた
CHOZEN LEE、JUN 4 SHOT、CRISS、さらに後に加入することとなるTRUTHFUL……4人それぞれのダンスホールとの関わりは90年代初め頃にまで遡り、それは横浜に拠を置くMIGHTY CROWNの歴史とも重なる。
「横浜でBANANA SIZEってサウンドシステムに出会って、〈俺らもやろう〉って話になったのが91年頃。その頃の(MIGHTY CROWNの)MCは誰でもいいからDJがやるみたいなスタイルで、レコードプレイをしつつラバダブでみんながマイクを回してた」(CRISS)。
「まだ中高生だからたかが知れてるんだけど、みんなでバイトして月のノルマを決めてお金出し合って、スピーカー一個から作り出して。客が5人、10人のとこからずーっとコツコツやってきたんですよ。で、やっとサウンドシステムを持って、自分らでハコ借りて」(JUN 4 SHOT)。
「当時、俺は客で遊びに行ってて。みんなが歌い出す時間が楽しみで。〈いいねぇ!〉って」と語るCHOZEN LEEはMIGHTY CROWNの立ち上げに関わってはいなかったが、JUN 4 SHOTとは中学の同級生。そんな彼がMIGHTY CROWNのファミリーに加わるのに時間はかからず、JUN 4 SHOT、CRISSと同じくMIGHTY CROWNのダンスでマイクを握ることになる。
そんな彼らが、MIGHTY CROWNのMASTA SIMONらからの提案を受ける形でFIRE BALLとして活動を始めるのは97年頃。そこに99年、ロンドン~ジャマイカでの修行を終えて帰国していたYOYO-Cが加入し、さらにはMIGHTY CROWNのMC/エンジニアとして活動していくうちに歌いたいという思いを再燃させていたSTICKOもTRUTHFULと名を変えて加わり、FIRE BALLは勢いを増していく。MIGHTY CROWNのミックステープ『LIFE STYLE』(2000年)、テープと同名のレーベル設立(2001年)に伴うコンピ『LIFE STYLE RECORDS COMPILATION VOL.1』への楽曲収録で火がついた彼らは2002年、現在の4人の形となり初のアルバム『火の玉』をリリース。そこにはメンバーそれぞれの個性がはっきりと投影されていた。
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カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2003年07月03日 11:00
更新: 2003年07月31日 18:46
ソース: 『bounce』 244号(2003/6/25)
文/一ノ木 裕之