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インタビュー

バングラ・ビートって?

〈バングラ・ビート〉とは、ターバンとヒゲで有名なシーク教徒の多い、インド北西部とパキスタン北東部に跨るパンジャブ地方の農業収穫祭のパーティー音楽〈バングラ〉がもととなり、現代のイギリスで発展したポップ・ミュージックのこと。バングラとは麻を意味する〈バング〉が語源で、収穫祭で麻を焚いて楽しく踊ったことからきているようだ。もともとは一地方の民謡だったが、ヒンディー映画の結婚式シーンで使われはじめてインド全土で人気を得た。音楽的にはドールやドーラクという樽型の両面太鼓による阿波踊りそっくりの速い三連系のリズム、パンジャビ語の歌、随所に入る「アハ」「オホ」などのかけ声が特徴だが、いまではヒンディー語で歌われていようがリズムがバングラならバングラ、さらにパンジャビ語ならヒップホップだろうとディスコだろうとバングラと呼ばれるようになってきた。そうしたバングラをもとにUK在住のパンジャブ系住民がレゲエやディスコ、ヒップホップの要素を採り入れたのが〈バングラ・ビート〉である。70年代末には早くもUKエイジアンのコミュニティーを代表する音楽となっていたが、クセの強さとパンジャビ語のせいで、その時点で外部にはほとんど知られることはなかった。

 それがコミュニティー外にも知られはじめたのは、80年代後期に登場したバーミンガム出身のDJ兼プロデューサー、バリー・サグーの手腕による。彼がヒップホップやレゲエの打ち込みリズムを導入した現代的なサウンドを用い、故ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンをプロデュースしたことで、バングラ・ビートはワールド・ミュージック・ファンにも知られるようになりはじめた。90年代に入ると〈BOOM釈迦楽〉を大ヒットさせたアパッチ・インディアンや天才少女歌手アマー、よりヒップホップに接近したパンジャビMCなどさまざまなバングラ・ビートのアーティストが登場したが、ワールド・ミュージックのバブル崩壊とともにコミュニティー外でのブームは一瞬にして終わってしまう。

 以来10年間、日本では(UKエイジアン系レーベルの流通網がなかったこともあって)バングラ・ビート自体が終わったモノだと思われていたが、リズム・ドール・ベースやドール・ファウンデーションなどの〈ドールンベース〉(ドールを使ったドラムンベース)や、サフリ・ボーイズやB21といった生まれつきヒップホップに囲まれていた新世代、アメリカでもジャジーBらが登場し、バングラ・ビートはますます増殖している。「ベッカムに恋して」などバングラ・ビートがUKポップスと共にフィーチャーされた映画がヒットしたことからもわかるが、パンジャビMCのヒットは偶然ではなく時代の必然だったと言えよう。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年08月14日 16:00

更新: 2003年09月04日 19:50

ソース: 『bounce』 245号(2003/7/25)

文/サラーム海上