原田郁子(2)
いつか歌詞にしたいと思っていたこと
ハナレグミの永積タカシ、伊藤ゴローといったうたごころを持つパフォーマーとの香気を放つコラボレートがあり、坂田学、TOKIE、ASA-CHANGらによる屈強であり、しなやかにたわんでいくようでもあるリズムが確かな起伏をもって絡み合っていく。クラムボンにある、ある種超然としたクリエイティヴィティーや、ジャム・バンド的フリーな資質とは別の、柔軟で心強いサポートが、楽曲の表情をよりくっきりとさせている。また、“かじき釣り”“海からの風”では作家のいしいしんじが作詞を手掛けているというトピックもある。
「(いしいさんの作品の世界は)今までに見たことがない世界が広がっていて、でも懐かしい感じがして。ごくシンプルで柔らかい言葉で、でも多くのことを伝えていて。どうしてそういうものを書いているのかが、ほんのちょっとだけわかるような気がして。だから自分とそう遠くない人だなって」。
レコーディングも曲作りも、迷うことはなかったと強調する彼女は、それを「曲がどんどんそれを選んでいく感じ」と語る。音楽的偶然とは別のところで、彼女の音楽の持つ〈気〉や〈ヒント〉が確信となり、磁石のように豊かな音を集めていっているような感触さえ覚える。『ピアノ』は、言ってみれば、その過程を受け入れた彼女の佇まいそのもので、ゆったりとしているが、ピンと背筋が伸びている。
「今回のアルバムって、それはいしいさんの歌詞も含めてなんだけれど、曖昧じゃないっていう気がすごくしてるの。ある気持ちとか、ある景色っていうものが、私にはすごく具体的に思える。スケッチやデッサン集に似ているような気がして。例えば水彩を置いて滲ませて、ちょっとぼかすっていうよりは、そこに点を描いて、それ以上加えない。点は細かく描写できないし、色はないんだけれど、でもそこに点を描きたかったことを大事にしたい。先に色を塗っているところに輪郭をつけて描いていくのがバンドだとしたら、ソロは真っ白い紙に突然鉛筆でスケッチを始めるわけなんで、すごくシンプルで、思っているようなこととか自分に見えているものがそのまま出てくるんです」。
童謡の美しさのように簡素な言葉と忘れられないメロディー。彼女の音楽には、ソロ・シングルに収録されている“団地のピアノ~ブルグミュラー”でふいに飛び込んでくる旋律のように、基礎の持つ譲れない美しさがあり、なんとも言えず胸の奥が暖かくなる。そんなこころの静かな律動は、ミニマルな音の連なりが印象的な“流れ星”での、大切な人との距離感をなにげない描写を交えて綴っていくなかにも宿っている。
「だまっていることと、そこになにかがあるっていうことを、いつか歌詞にしたいとは思っていたんだけれど。誰もそこにいる人はしゃべっていないけど、なんか感じているものがあって。ただその時間っていうのを歌ってみたいっていうか」。
大勢の中で、ひとりの時間を感じることができること。またはその逆で、みんなそれぞれひとりずつなんだけれどひとりぼっちじゃないと感じられること。気の置けない仲間と奏でる音に無上の喜びを感じることができ、みずからと対峙することもできる。それがごつごつとした手触りや人間臭い雑さを大切にする、原田郁子の音楽の柔らかさの底に流れている〈確かさ〉に繋がっているのではないだろうか。
「バンドとソロって、こういうところが違いますねっていうのは、聴いてくれた人が見つけてくれるかなと思っていて。わからない部分を残しておきたかった。あんまり違いはないっていう部分もあるし、こんなにソロになると違うんだねっていう部分もある。そこを深く追求したくなかった。なぜならクラムボンもソロも私にとってはなくてはならないものだから」。
ソロ・アーティスト、原田郁子の船出を心から祝したい。彼女のこんないじらしい言葉も許せてしまうのだ。
「昨日ね、家を出て電車に乗ってるときに、妙にドキドキしたわけなんだよ。(自分の作品が)もうお店に並んでるんだと思うと。誕生日の気分ていうか(笑)、なんか特別だなぁって」。
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