インタビュー

ゆらゆら帝国(2)

僕が思うところのロック

「ドラムを主役に……っていうのは考えてましたけどね。それと、音の感触・イメージみたいなのはあって、曲は揃ってたんであとは録るだけ、みたいな感じで。ドラムとヴォーカルだけである程度成立してて、あとはほんとに必要最低限のリフで聴かせる──そういうのを中心にしようと思ったんですけど」。

「感情に任せてノリとか勢いとかで演奏するんじゃなくて──それは今回から始まったわけじゃないんだけど──全員が抑制したなか、曲のなかで自分らを表現する……まあ、そんな感じです。特に〈しびれ〉とか……まあ〈3〉のあとからかな、曲のイメージに明確に効果を出すためには〈必要とあればみずから消える〉というか、そういうことをやってたんですけど、その延長ではあります」。

「聴いてもらえればわかるんですけど、いわゆる〈ロック・ギター・ソロ〉みたいなのは一切入ってなくて、曲の骨格になってるようなのしか弾いてない。なるべく説明的なフレーズとかは弾かないように、と」。

「音色とかもそうなんですけど、歌詞とかそういうのが(聴いて)パッと入ってくる……それをめざしたところがあるんですよ。なるべく単純化して……けっしてハデな曲じゃないんですけど──わりと淡々としてたり、サビとかがなかったりする曲が多いんですけど、とにかく無駄がない感じで、すごいハッキリした音、そういうのがやりたいなと思って。まず曲からして、そういう感じの曲が最初のほうに上がってきたのと……〈しびれ〉とかの延長っていうのはあったんですけど、その後ライヴでいろいろアレンジして演って、そのライヴの感じがすごく良くて。それをそのまま発展させたいなっていうのはあったんですよ」。

「めざす感じとかは変わってなくて、ますますピントが合ってきたというか、明解な形でできるようになったっていう感じかもしれないですね」。

〈何〉をめざして〈何〉をやったか──坂本の解答はそれらがいちいち明白。なぜなら、坂本が音楽に対して求めるものは一貫してブレがなく、ゆらゆら帝国が表現すべき音楽もまた、軸がブレないからだ。だからこそ〈シャウト控えめ/テンポ控えめ/下ネタ増量(坂本いわく「知的な(?)下ネタ」)/“間”増量〉の、この『Sweet Spot』に、これまでのディスコグラフィー同様、ものすごく興奮させられたりうっとりさせられたり、思わず吹き出したり深い感動を受けたり、聴くたびにさまざまな印象を与えられるわけだ。

「聴く人によってどうとでもとれる感じ──でも、なに言ってるかわかんないでどうとでもとれるっていうか、ぼやかして煙に巻くっていうんじゃなく、すごいはっきり言ってるのにいろいろ解釈できるっていうのはめざしてるとこなんですけど」。

「〈曲のなかの歌詞のあり方〉はJ-Popみたいなのとは全然違うと思うんですけど。歌詞とサウンドの関係とか、歌ってる本人と歌詞の関係とか……ヴォーカルの感触というか。自分のヴォーカルに関して言えば……抽象的な話になっちゃうんですけど、バンドのなかで力の置きどころが明確に違うっていうか、自分の外にある感じなんですよ。もちろん感情とか音出す時に──感情を込めるっていうのとはまたちょっと違うけど人間性みたいのは出るんですけど、曲のなかに自分がいないような、そういう感じなんですよ」。

「プレッシャー? うーん……(本気で悩む)……〈リスナーの人〉みたいなのを想定してプレッシャーってのはほとんどないんですけど……まあ(想定しても)わからないし、ってのもあるし。現場で、メンバー、エンジニア、プロデューサー、そこをまずノせないといけないっていうプレッシャーはありますね。だから、みんなをやる気にさせるようなすごく新鮮なヴィジョンというか、そういうのを引き出さないと現場は盛り上がらない……っていうのはありますね」。

「すでにこう、身の回りの4~5歳の子の評価は高いみたいです、かなり(笑)。みんな歌ってるって。何回か聴かせると覚えて……聴かせてるわけじゃないのに、勝手に覚えて歌ってるって」。

「今回のは特に、いま自分が聴いておもしろいと思えるようなロック・アルバムっていう部分はあって。だから、僕の思うところのロックのおもしろい部分──古くならない感覚っていうか──そのエッセンスを抽出して、そこをめざしたい」。

 僕の思うところのロックのおもしろい部分──坂本の音楽観は不変である。しかし、みずから「カーペンターズとスーサイドを同列に聴く男」というように、音楽ジャンルには決して隷属されないのが坂本ひいてはゆらゆら帝国の音楽観なわけで。

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掲載: 2005年05月26日 11:00

更新: 2006年08月11日 19:50

ソース: 『bounce』 264号(2005/4/25)

文/山内 史