インタビュー

TONY YAYO(2)

俺は死ぬまでGユニットだ

「俺はGユニットのオリジナル・メンバーだ。Gユニットを結成したのは俺と50だし、50がジャム・マスター・ジェイに師事したのも見届けた。奴がコロムビアと契約したときも居合わせていたし、未発表に終わった『Power Of Dollar』のレコーディングにも立ち会ってる。その後で50は9発撃たれてレーベルから解雇されたんだ。レーベル側がストリートと関わりたくなかったんだよ。奴は脚を数か所撃たれてリハビリが必要だったんだけど、退院してからも連絡を取り合って改めていっしょにやっていこうって誓い合った。それから近所に住んでいたロイド・バンクスを50に紹介して、俺たち3人のGユニットが始まったのさ。Gユニットの一員であるからには、死ぬまでGユニットだ。俺は忠誠心の強い人間なのさ。50がラップを始めたころから側にいるし、俺たちの間には兄弟愛みたいなものがある。50は俺を弟として見てるし、俺は50を兄として慕ってる。Gユニットは俺にとってすべてさ。俺、バンクス、ヤング・バック、50の間には金なんか関係ないんだよ。忠義がすべてだ」。

 そう語るトニー・イエイヨーが拳銃の不法所持で現行犯逮捕されたのは2002年の大晦日、50が“In Da Club”をリリースする直前のことだ。その後、2004年1月にいったんは釈放されるものの、偽造証書所持の罪で何とその翌日に再投獄。同年5月に晴れて自由の身となった。

「ムショはムショさ。起きて、朝食を済ませて、やるべきことをやる。ただ、周りの出来事を把握しておかないといけないんだ。なかにはいろんなギャングもいるからな。常に自分の周囲を意識して、状況を把握するのが仕事だった。人が刺される現場も見てきたよ。監視員が武装して突入してくるんだけど、60人ぐらいの前で裸になって、性器を持ち上げられたり足を開かされたり、カミソリが口の中に入ってないかチェックされたりする。部屋中を金属探知機で調べられたりもするんだ。警察犬にドラッグを隠し持っていないかチェックもされる。ムショではクスリが凄いからな。でも、エミネムがグラミー賞の授賞式で〈Free Yayo〉のTシャツを着て壇上に上がったのを観た時は興奮したね。喜びのあまり、テーブルやイスを蹴りまくった。ムショに入ってても誰かにサポートされてるということが凄く嬉しかったんだ。エムがグラミーであのTシャツを着てくれたからこそ、いま俺はここにいることができるんだよ」。

 もちろん、仲間たちの快進撃を塀の中から眺めていたイエイヨーには焦燥感もあっただろう。現在全米をサーキット中の〈Anger Management Tour 3〉において、彼はみずからのレパートリーを披露しながら50のサイドキックとしても終始ステージに上がっている。冒頭で紹介したGユニットの面々の発言にもあるように、遅れを挽回しようとする強い気概も相まって、その精力的なパフォーマンスにはどこか鬼気迫るものがあった。

「俺と他のメンバーを分かつ決定的な要素は、俺のエナジーだ。ライヴを観たらわかると思うけど、このとおり、すぐにノドがイカれちまう。俺はGユニットのエナジー・パーソン。ステージにエナジーを注ぎ込む、最高のスキルを持ったラッパーなんだ」。
▼Gユニット関連作品。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年09月15日 14:00

更新: 2005年09月29日 19:45

ソース: 『bounce』 268号(2005/8/25)

文/高橋 芳朗

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