インタビュー

Ying Yang Twins

イン・ヤン・トゥインズが一発屋だって? 常に新しいアイデアを携え、奴らは何度でも陰と陽の狭間から囁きかける……とっくに時代は変わってるんだぜ!!

もっとスゲエ曲を作ろうとしてる


 中国に伝わる〈陰陽〉を意味する記号から取られたという一風変わったグループ名……イン・ヤン・トゥインズというアトランタのコンビが最初に大きく注目を集めたのは、2000年に“Whistle While You Twurk”がヒットしてからであろう。それ以前にもジャーメイン・デュプリ率いるソー・ソー・デフからリリースされたコンピ『So So Def Bass All-Stars Vol.3』に収録された“True City Thugs”がローカル・ヒットを記録してはいたものの、“Whistle While You Twurk”はビルボード・チャートでも大健闘、最終的には20万枚以上のセールスを記録して一躍グループの名を広めることとなった。アトランタのヴェテランであるDJスマーフ(現在はMrコリパークと名乗っている)の作るアタックの激しいビートと、D・ロックとケインによるつゆだくのアドレナリンが漲ったラップのコンビネーションは、その後も“Say I Yi Yi”や“Lil' Tooty Booty”など、アルバムごとにヒット曲を連発。リル・ジョン&ジ・イースト・サイド・ボーイズの大ヒット曲“Get Low”でもフィーチャーされ、2004年には“Salt Shaker”がポップ・チャートでも特大ヒットを記録するなど順調にキャリアを積み重ねていった。

 だが、そうした本国での活躍に反比例して、ここ日本では大きく取り上げられたり注目される機会になかなか恵まれず、イン・ヤン・トゥインズがキチンと紹介されることはなかった。今回は最新作『U.S.A.(United State Of Atlanta)』がついに日本盤でリリースされるのに合わせ、コンビのこれまでの活動や、彼らを育てたMrコリパークとの歩みについて、D・ロックが振り返ってくれた。

「オレたちとケインは双子じゃなくてただの親友だぜ。オレが従兄弟とストリートを歩いている時にケインと出会って、その日からずっとつるんでるんだ。イン・ヤン・トゥインズってのは人生のいい面と悪い面がセットになっているっていう意味なのさ。俺はイン・ヤンの前にソロで活動してて、Mrコリパークもソロでやってた。ヤツがオレのプロジェクトをプロデュースして、オレがヤツのアルバムにケインと参加したときから俺たちはずっとイン・ヤンだぜ」。

 イン・ヤン・トゥインズとして活動し、Mrコリパークと組んで最初のアルバム『Thug Walkin'』からいきなりヒット曲を出したことについても浮かれることなく冷静に答える様子は、あらゆるダンス・フロアを盛り上げてきたエネルギッシュな印象とは異なり、音楽に対して真面目に向き合う印象を受ける。

「ハードワークさ。オレは〈努力は実を結ぶ〉ってずっと言われてきた。それを信じて必死にやってきた結果がヒットになるんだ。オレたちはそれからも努力を惜しまず、もっとスゲエ曲を作ろうとがんばってきてるだけのことさ」。

 そのようにして、一発屋で終わることなく次々とヒット曲を繰り出してこられたのは、常に自分たちのステップアップに意識的だったからだろうか。

「ネクスト・レヴェルに行こう、とかそんなことは思っちゃいねえよ。ただクリエイティヴでいられるかどうかが重要なのさ。だからオレたちは仕事し続けて最高の曲を作ってる。音楽をマジで愛してりゃ、音楽のほうから歩み寄ってきてくれる。そういうモンだぜ! まず音楽を愛することさ。そうすりゃヒットを生み出すなんて簡単だぜ。音楽を作ることはただカネを稼ぐことじゃねえ。カネなんて問題じゃないのさ」。
▼『U.S.A.(United State Of Atlanta)』に参加したアーティストの作品を一部紹介。

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掲載: 2005年10月06日 16:00

更新: 2005年10月06日 20:04

ソース: 『bounce』 269号(2005/9/25)

文/高橋 荒太郎