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インタビュー

イン・ヤン・トゥインズを支えるMrコリパーク……あのDJスマーフのことですよ!!

 芸名をコロコロ変えるのでそう認識されていないかもしれないが、イン・ヤンを育てたMrコリパーク=ビート・イン・アズ=DJスマーフ、である。そのスマーフ、本名マイケル・クルームズはジョージア州カレッジパーク(その俗称がコリパークだ)に育ち(生まれはフロリダ州オーランド)、ベースの都=マイアミからアトランタに流れてきたMCシャイ・DのバックDJを務めていた。そんな彼は95年にPMHIなるユニットを率いて初の自己名義アルバム『Versastyles』をリリース。翌96年にジャーメイン・デュプリ&リル・ジョン仕切りのコンピ『So So Def Bass All-Stars』に参加したあたりから、キジー・ロックや妹のリズム(元オン・エッジ)ら軍団の陣容を整え、D・ロック&ザ・2タイト・クリックの『True Dawgs』を手掛けたことでイン・ヤン結成の礎を築いている。98年には自主レーベルのコリパークを設立。自身3作目となる『Dead Crunk』では“One On One”にイン・ヤン・トゥインズ(イン・ヤンの名前はここが初登場)を、“Stop Trippin'”に無名時代のリュダクリスを抜擢する目利きぶりも見せている。

 その後はプロデューサーに専念しはじめ、2000年にはベースの御柱=ルークに乞われて『Luke's Freak Fest 2000』をプロデュース、同時期にはリル・ジョンも手掛け、ベース・シーンのトップに君臨した。もちろんイン・ヤンの仕掛人としてその急成長を支える一方で、盟友キジー・ロックやヒットマン・サミー・サムといった地元アクトも着実にバックアップ。イン・ヤンが全米ブレイクを果たしてからは外部プロデュースの依頼が急増し、BGの大ヒット・チューン“My World 'I Want It'”をはじめ、ジャッキー・Oの“Fine”、トリック・ダディの“Down Wit Da South”など南部アクト中心に八面六臂の大活躍を見せている。今年に入ってからは、イン・ヤンの新作に先駆けてアトランタの新星=ヤング・ジーズィの“Trapstar”をプロデュースしたばかり。イン・ヤンの後には早くもデヴィッド・バナーの“Play”をヒットさせている。

 そもそもスマーフが、デュプリやオーガナイズド・ノイズらがアトランタ・シーンの存在を世に知らしめるより以前から活動してきた、同地シーン黎明期の偉人でもあることを忘れてはいけない。一括りにされがちなリル・ジョンもそうだが、スマーフはアッパーなフロア・チューンだけではなく、幅広い音楽的滋養から革新的なプロダクションを生み出すオリジネイターなのだ。
▼ジャケは登場順に


DJスマーフの98年作『Dead Crunk』(Collipark/Ichiban)


ルークの2000年作『Luke's Freak Fest 2000』(Luke/Loud/Columbia)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年10月06日 16:00

更新: 2005年10月06日 20:04

ソース: 『bounce』 269号(2005/9/25)

文/出嶌 孝次

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