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インタビュー

SENTI TOY(3)

――それまであなたは一般的なポップスやカントリーしか聴いていなかったそうですが、次第にジャズを聴くようになり、ヘンリー・スレッギルとも知りあったとのことですが、音楽に対するあなたの価値観を変えるきっかけになったのはやはりジャズだったのですか? 具体的にどういうきっかけで、どのようなジャズに興味を持ち、それらのジャズのどういうところに惹かれたのでしょうか?

「ナガランドに住んでいる頃は、ジャズは全然聴いていなかったの。ボンベイの大学に行ったときに初めてジャズを聴きました。ジャズは、私の音楽に対するイマジネーションを間違いなく広げてくれました……新しい考えや可能性を。私はジャズのスタンダードをふざけ半分に歌うことが好きでした。それはとても、容易に努力なくしていたことですが、私の違う面を発見するようでした。私の音楽体験を豊かに、活気のあるものにしてくれたのは確かで、新しい大きなドアを開けてくれたのです!」

――歌うことに興味を持ったのはいつくらいのことでしたか? それは何がきっかけだったのでしょうか。聞くところによると、ヘンリー・スレッギルと出会ってニューヨークに移ってからもまだそれほど歌うことに熱意はなかったそうですが……。

「私は、子供の頃からいつも歌っていました。おもちゃのギターに合わせて何時間も歌っていました。家族はそれをどう思ったのでしょう。私たちのネコ〈レシカ〉は頑固なまでに私のファンでした。彼女は、私が歌い始めるとすぐにとなりに座って、どれだけ長くであろうと歌い終わるまでノドを鳴らしていました。彼女は私の妹のネコなのに(笑)。そして本物のギターで色んな人のコードをとるようになり、独自のコードも作ったりして、7歳か8歳の頃には学校でお客さんがいる前で歌わされるようになりました。

音楽の先生もいなかったし、親が買ってくれたギターの教則本で学ぶのは嫌いでした。ギターを学ぶことに関しては、ちょっと怠け者でしたね。それよりは、創造してしまうほうが好きでした。それを何年もやったのち、ヘンリーと出会うころには自分自身の限られたギター能力や決まりきった手癖に嫌気がさしてました。私にとってギター・プレイとは、自分の歌に合わせるための楽器にしかすぎません。私は自分の頭の中で鳴っているものを弾けないことに、少しいらだちを感じるようになり、それが自分自身の音楽を休息する良い機会だと、休止することを決断しました。私はヘンリーのアルバムの中で、彼のグループ、ヴェリー・ヴェリー・サーカスの『Carry The Day』というアルバムでいっしょに歌い、バンドとツアーもしました。それは私にとって、今までとはとても違うスタイルの歌そして経験でした。またヘンリーとはいくつかの劇場でのプロジェクトでも歌いました。なので、歌はいくつか歌っていたんですよ。ただ、自分の音楽じゃなかったというだけのことです」

――自分で曲を作るようになったのは、いつのことでしたか? ヘンリーといっしょにいるようになって、彼から曲作りのノウハウなどアドバイスを受けたりしたのでしょうか?

「私が曲を書くようになったのは21歳ぐらいの頃です。彼が仕事などをしている時に耳にしていたくらいで、それでギターだけで曲を書けるということが分かりました。曲を作るのには、コードに頼る必要もないって。とても自由な気分にさせられました。彼からは、特にアドバイスはもらっていなくて、ただ私の好きなようにさせてくれました」

――私は、あなたのこのアルバムを聴いて、何にも縛られずにのびのびと声を発してメロディーを奏でるその自由な歌声に心底感動しました。テクニックに走ることもなく、頭でっかちになることもなく、本当に心のおもむくままにメロディを綴っている印象を受けます。曲作りはどのようにして行なっているのですか?

「ほとんどの曲は私の頭の中で書きます……言葉、メロディすべてを。以前はギターを使って書いていましたが、今はしていません。自分にとって、これがベストな作曲法なのかは確かじゃありませんが、そのようにやっています。なにかアイデアがある時は、頭の中で歌うだけで、ほとんどの場合はあとで歌おうとした時もそれを覚えてるの。今ではガイドや助けとなる楽器はありません。ただ“Kohima”はギターで書きました。言葉に関しては、自分にとって意味のあることで、また意味を持たせようとしているので、リスナーがそれを感じたままに聴いてくれるのでしょう』

――ソングライターとして、あなたが影響を受けた人、個人的に共感できる人といえば、どういった名前が挙がりますか?

「スティーヴィー・ワンダーからジョン・レノン、ポール・マッカートニー、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、スティーリー・ダンまでみんな。シンガーだけではなく、色んな音楽が影響を及ぼしてくれました。ブルース、西洋のクラシック音楽、様々なフォーク、コンテンポラリー・ジャズとか」

――また、歌い手としては、どういうシンガーが好きで、共感できますか?

「もう、たくさんいるわ。ダニー・ハサウェイ、ニーナ・シモン、マリア・コールズ、フレディ・マーキュリー、メイシー・グレイとキリがない! ジャンルとかは特に関係ないです」

――あなたの書く歌詞を拝見していると、時折顔を覗かせるその寓話的な描写に、自然の生きとし生ける者すべてに魂が宿っているかのようなオーガニックでスピリチュアルな思想を感じ取ることができます。歌詞を書く面であなたにとって大きなモチーフになるもの、インスピレーションとなるものは何でしょうか?

「毎日の生活の中で湧いてきます。毎日の経験や感じたこと。それは何か通りでふと耳にしたことだったり、会話だったり、人生や人間愛からくるものとか。え~と、例えばアルバムの中の“You Got Breath”という曲は、私がブルックリンの地下鉄の中で、小さな男の子が彼のお父さんといっしょに階段を昇っている姿を見ていたら、結局全員同じエレベーターに乗りあわせました。すると小さな男の子が息切れしており、お父さんが「You Got Breath(息を持っているじゃないか)」と言って水をあげました。どういう意味で「You Got Breath」と言ったかは、正確には分かりませんが、ただ私はその言葉から父親の息子に対する莫大な愛情を感じとり、その言葉が頭から離れませんでした。で、誰が知りうるだろうか、それが愛についての歌となったのです! “More Than The Fingers Of My Hands”は、人類学者がナガの人々について書いたものから来ているのですが、彼はナガの人々は知識が乏しく、10以上の数も数えられないと書いていました。それに対して怒りを覚えたのと同時に、その乏しい人類学者に対して、どこか哀れみを感じました。そして、そのような感情全てが何故かこの曲で湧き出たのです。“Kohima”は、この曲を書いていた当時に行われていた政治的バイオレンスに対する思いや後悔の念からきています。それは私がボンベイにいる時期……つまりインスピレーションは、どこからも、どこでもないところからも出てきます。それは予測ができませんね」

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2006年03月16日 00:00

更新: 2006年03月16日 19:36

ソース: 『bounce』 273号(2006/2/25)

文/岡村 詩野

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