こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

インタビュー

SENTI TOY(4)

――あなたの周辺には、ヘンリーを通して多くの著名で実力ある前衛系ジャズ・ミュージシャンが多く集っていますが、そうしたアーティストたちから学んできたもっとも重要なことはどういうものでしょうか?

「多分、私にとって一番学んだ重要なことは、自分がなれるもの、できることに対して満足するということです」

――腕利きのミュージシャンに囲まれてきたことが、時としてあなたにとってプレッシャーとなることはありませんでしたか?

「プレッシャーはありません。私の周りにいる彼らは技術的に優れていますが、それだから彼らが素晴らしいというわけではありません。彼らの音楽を素晴らしくしているのは、彼らの技術的ノウハウのおかげだとは思わないのです。素晴らしいのは、アートを通して表現できる彼らの能力で、彼らを特別としているのはそれで人々を感動させることができるからです。だって技術的に優れているのに、良くないミュージシャンはたくさんいるから。なのでクォリティーというものは、特別私になにかを訴えるものではないんです。技術的に優れていることは悪いことではありませんが、凄く重要なことでもないのです」

――あなた自身の音楽は、さまざまな音楽的エレメンツを含みながらも、最終的にポップ・ミュージックとして美しく人懐っこい表情を持っていると思います。あなたは自分の音楽をポップ・ミュージックとして意識しているのでしょうか。優れたポップ・ミュージックに最も必要なものは何だと考えますか?

「そうね、〈ポップ・ミュージック〉と呼べるものだと思います。私にとって、良いポップ・ミュージックは、良い現代音楽やアヴァンギャルド音楽など、どんな種類の音楽であろうと、私に作用するという点ではさほど意味は変わりません。私をどのような形であれ高揚させてくれるものであれば、良い音楽です。技術的に、良いポップ・ミュージックである条件を私は挙げていくことが出来ませんが、それは正しい音のコンビネーション、アレンジ、想像力なのです」

――アルバムにはナガランドの伝統的な音楽を取りあげたと思えるナンバーもありますね。あなた自身のアイデンティティであるナガランドの血を、ポピュラー音楽の中で生かしていくことは、あなたにとって音楽をやっていく使命や励みの一つだったりするのでしょうか? つまり、ナガランドの音楽を自分というフィルターを通して世にちゃんと伝えていきたい、というような。

「ナガの音楽をこのアルバムで使用することを特に、意識的に決断したわけではありません。ただ、どういうわけか曲を書くにつれ、古いフォークソング(“The Language I Cry In”の中にある)を歌うことが意味のあることのように思えたのです。また“More Than The Fingers Of My Hands”にあるいくつかの要素もそうです。ナガの音楽を広める必要性は感じていません。それ以上に特別だったり重要なものにすることはできないので。でも、そうね、ナガの音楽によって他の音楽を前に押し広げることは前向きな考えだとは思うけど、私自身にその使命を負わせたくないですね」

――現在、大学で民族音楽を勉強しているそうですね。具体的にはやはりインドを含むアジアの音楽を学んでいるのですか? ナガランダの音楽が世界的に見てユニークと思えるのはどういうところでしょう?

「私は特に色んな音楽を学んでいるわけではないわ。私は、エスノ音楽史のプログラムに参加しているだけで、それはもっと文化/批評的な感じのプログラムなの。異文化における、音楽的習性を理解しようと考えるのが好きだから……少なくても私はそうしたいと思っています。ゆくゆくは伝統的なナガの音楽を見て、どのように変化しているのか、なにが変化しているのか、それらの理由を理解したいと思っています。ナガランドにおける植民地化や伝道化のせいで、西洋の音楽に支配され、私はナガの音楽に全く触れずに育ってきました。そして、今の世代はそれに気づき、失われた音楽を取り戻そうとしています。音楽に対する気持ちが変わったように思えるのです。技術的には同じ音だけど、年上の人が歌っているスタイルのほうが感銘を受けますね。私はただ、この音楽に新たなものが加わるにつれ、逆に失いつつあるものを理解したいだけなんです。ユニークという点では……ナガの部族によって違う歌のスタイルがあるし、色んな面でユニークにとれると思う。例としてチャヘサンの女性には、コントロールされ調整されたビブラートやユニゾンによって歌うスタイルがありますけど、とても素晴らしいものです。そして一般的にナガの音楽の音程はちょっと外れていて、非正確に震えますが、それがとても楽しいんです」

――ニューヨークは多民族の集合体で、世界中の様々な民族が混在していますが、そういう中でアジア人としての誇りをどういう時に感じますか?

「特にニューヨークにいてアジア人であることに意識的ではありません。多分あまりにも色んな人種のミックス状態だから、街のどこへ行っても溶け込めることを逆に楽しんでますから。もちろん人々が私がナガランドから来ていることを知ると興味をもちますが、それもそれで楽しむことができますしね」

――最後に。共演してみたい、いっしょに仕事をしてみたいミュージシャンをおしえてください。

「それについて考えたことはなかったです。今、いっしょにやっている人たちとの仕事にかなり満足していますから」

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2006年03月16日 00:00

更新: 2006年03月16日 19:36

ソース: 『bounce』 273号(2006/2/25)

文/岡村 詩野

記事ナビ