①異端児ラスタとしてのブジュ
親友のDJパン・ヘッドの死やラスタ復興を煽ったガーネット・シルクのブレイクに触発されて、90年代前半からブジュはラスタに傾倒していく。たびたび比較されるケイプルトン(彼もかつては下ネタを得意とするゴリゴリのダンスホールDJだった)も同様の道を辿り、〈神の子〉と崇められるシズラもこの頃にキャリアをスタート。スラックネスからラスタへ、ジャマイカの音楽シーンはまさにそんな時代だった。当時ラスタ化したアーティストの多くがエクスターミネーターのようなカルチュラルな作品を得意とするレーベルに身を置き、過去との訣別を図っていたのに対し、ブジュは違った。デビュー時から身を寄せるペントハウスを拠点に作品を発表し続けたのだ。
形式よりもメッセージ──それを示さんばかりに、転向してからも〈ダンスホールを辞めたわけではない〉とたびたび語り、ヤンチャな顔を覗かせることもしばしば。いまでこそタービュランスやムンガ(は少々やりすぎ?)などバッドなスタイルを評価されるラスタ系のDJも多く存在するが、敬虔さが求められるこの信仰において長らくブジュは異端児扱いされ、バッシングされることも多々あったようだ。しかし、それをものともしなかったのには理由がある。彼は不屈の魂を持つマルーン(逃亡奴隷)の末裔。世間のルールなんて気にせず、己が正しいと思った道を突き進んできただけのこと。この男の説得力はハンパじゃない!
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