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インタビュー

もはや何をやってもエンターテイメント!? 近年のジェイ・Zさんを追いかけろ! (その1)

 現在のジェイ・Zは、自身も語るようにヒップホップそのものをレペゼンする存在であります。つまり、ジェイ・Zが動くことはすなわちヒップホップ・ゲームそのものが動くことを意味しているんですね。実際に〈オマエが言うな〉的なことを平気で言ってしまう人でもあるし、その存在感がもはや宗教化/権威化している点には違和感を覚える向きもありますが、多くのヒップホップ・メディアや関係者は無意識的にでもジェイ・Zを全肯定する方向で満場一致のようですので、この王様状態はこの先もずっと続いていくのでしょうね。ジェイ本人もそのあたりはよく理解しているようで、常にその一挙手一投足で観客たちを楽しませてくれています。

 そんな彼が引退を撤回して『Kingdom Come』で復帰したのは2006年でした。引退と復帰さえもエンターテイメントに変えてキャリアに起伏をつけるというやり口は、ルーペ・フィアスコやワレイのようなキャリアの浅いラッパーまでがすでにトライするほどの定番メソッドとなっています。その〈引退〉中にもR・ケリーやリンキン・パークとのコラボ作を出したり、膨大な客演を残したりしていたジェイだけに、誰もが復帰を予想していたわけですが、復活後は逆に客演などを絞り込み、ビジネス活動も含めた行動そのもので周囲に波紋を投げかける手法を常道化させていくようになるのですね。

 デフ・ジャム社長としてリアーナを一段上の成功に導いた2007年の末には、10枚目のNo.1アルバム『American Gangster』をリリース。そして、翌年の1月をもってデフ・ジャム社長から退任することを発表しています。また、同作に反応してジム・ジョーンズは『Harlem's American Gangster』をリリース。そこではかつてロッカフェラを共に設立したデイモン・ダッシュの暗躍ぶりも話題になりましたね。

 話題になったといえば、約7年の交際を続けていたビヨンセと極秘パーティーを開いて結婚したのが、その2008年の4月のこと。ただ、この件に関して当人たちからのオフィシャルな発表は一切ありません(そもそも交際すら正式には認めていない!)。また、前後して大手コンサート・プロモーターのライヴ・ネイションとの契約が報じられ、両者の合弁でロック・ネイションという新レーベルが始動することも伝えられています。一方でもともと所有するロッカフェラからは離脱者が相次ぎ、現在残ったのがカニエとジェイダキスぐらい……という状況なのは少し寂しい話です。

 また、同じ2008年の6月にはラッパー初となる〈グラストンベリー〉のヘッドライナーを務め、これを揶揄したノエル・ギャラガー(当時オアシス)に対しては、ステージでギターを弾いてオアシスの“Wonderwall”を歌うというお茶目なアンサーを披露しました。その勢いのまま新曲“Jockin' Jay-Z”を前フリとしたデフ・ジャムからの最終作『The Blueprint 3』の発表も予告されますが、これはシングルの不発もあって延期に。オバマ大統領候補(当時)の支援活動などでも忙しく動き、諸々は翌年へと持ち越されることになりました。

 2009年5月にはデフ・ジャムからの離脱が正式に発表し、そして“D.O.A.(Death Of Auto-Tune)”の登場です。サブジェクト選びやタイトルの付け方、タイミング……すべてが完璧にジェイ・Zらしいこの曲は大きなプロモーションとして機能し、アルバムへの期待を大きく膨らませることに成功。続くシングル“Run This Town”の大ヒットを受けてロック・ネイションからの第1弾作品『The Blueprint 3』へと至ったわけです。エクスキューズが足りなかったのか、ジェイ・Z信者の暴言にキレたT・ペインがDJプレイ中に〈死ぬのはジェイ・Zだ!〉と吠えてしまうという事態もありましたが(すぐに和解)、それすらも抜群のスタントとして機能したように思います。

 新作のほうはドレイクやキッド・カディ、Mrハドソンら旬の面々を上手く束ねた印象で、出来のほうは当然のように盤石。最高です。流石の彼もトレンドセッターじゃなくウォッチャーになったな……という印象もありますが、そんなことを口にする人も恐らくはいないでしょう。この後はシュガベイブスの全米デビューを仕掛け、J・コールを送り出すというロック・ネイションにも期待は膨らむばかりです。参った!

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2009年09月24日 19:00

ソース: 『bounce』 314号(2009/9/25)

文/轟 ひろみ

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