インタビュー

レゲエと大阪のディープで幸福な関係

 関西、特に大阪は古くからレゲエ人口の多さでは日本随一とされている。その理由として、まず〈気質〉がジャマイカ人のそれに近いことが挙げられるだろう。ダンスホール・レゲエは音楽のみならずそれを取り巻くカルチャーであり、その文化体系の根本に〈何もないところから、何かを代用してでも作り出す〉ヴァイタリティーと、〈いまに見てろよ!〉的な反骨精神がある。これが関西人にこれ以上なくしっくりきたのは言うまでもない。

〈レゲエやったらココが一番や!〉という強い気持ちを誰もが持ち、レゲエ専門(もしくはその部門に強い)レコード店、レゲエ・クラブ、レゲエ・バーと、そのカルチャーをビジネスに繋げる〈レゲエ人〉は80年代中盤~後半には一気に増加。大阪・ミナミには伝説のハコ=セント・アンズがあり、またキタや神戸、京都でもダンスは盛況を呼び、90年代前半にはロックデザイアやキラサン・ムーヴメントといったサウンドが顧客のみならず、次世代のウタ歌いや皿回しを輩出する環境を作ってきた。80年代末からマイクを握っていたBOOGIE MANのビッグヒット“PACHINCO MAN”が生まれたのはその真っ只中の94年。この頃には〈ナニワ・レゲエ〉と勝手にネーミングされたブームも起こったが、一度熱が引いた96~97年には三木道山やトキワ・クルーがシーンを席巻。ダブ・カットから始まったカエルスタジオはダンス・プロモートや音源制作も開始し、99年には一発録りの『激録マスターズ・オブ・ラバダブ 99』を発表し、その後もSKY IS THE LIMITやROCK CITYといったスタジオも運営している(そのほかのスタジオにズラ・スタジオなどがある)。RANKIN TAXIのFMプログラムが長寿番組ならば、ターミネーターの築港での野外ダンスも今年で10年目。やはり性に合っているのだ、レゲエってヤツが。

▼文中に登場したアーティスト/スタジオの作品を紹介。


カエルスタジオの疑似ライヴ盤『激録マスターズ・オブ・ラバダブ 99』(アルファエンタープライズ)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年09月04日 17:00

更新: 2003年09月04日 20:39

ソース: 『bounce』 246号(2003/8/25)

文/二木 崇