インタビュー

おまけインタヴュー! 五十嵐隆の人生、その傍らにあった音楽をプレイバック!

――まずはベタな質問ですけど、物心ついて最初に反応したと思われる音楽って何ですか?

「ずっと恥ずかしくて言えなかったんですけど(笑)……ユーロビートって呼ばれる前のユーロビートとでもいうか。デッド・オア・アライヴとか、そういった感じの音楽を好んで聴いてましたね。小4とか小5ぐらいかな。最初に買ったレコードは……風見慎吾の“涙のtake a chance”だったんですよ(笑)。のちのユーロビート好きにも繋がるんでしょうけど、イモ欽トリオとかYMOみたいな音が好きでしたね」

――親が好んで聴いている音楽に影響を受けた、っていう例もありますけど……。

「親は、ぜんぜん音楽好きじゃなかったな。そのくせ、ステレオだけは良いのがあって。だから、学校が終わったら、帰って音楽を聴くのが楽しみでしたね。部活とかはね、〈残業〉ってイメージがあって。6時間目終わっても、まだかよって感じ(笑)」

――自分で選曲したカセットテープ作ってみたり?

「もう、それが楽しくて。いまだにやってますから。実家に帰ると、ダビングしたカセットテープが何千本ってありますね。ダブル・カセットとかでダビングしてたから、劣化した、ほぼ中域しかないようなノイズ混じりのモコッとした音で。でも、あの音が好きで、『HELL-SEE』を作るときも、そういう音がいいなあって思ったんですよね。

――そういった編集テープを女の子とかにもあげたりとか?

「ええ(笑)。でも、いま考えるとすごく恥ずかしい。シカゴとか……バラード系はわりと受け入れられましたね(笑)。当時はAORみたいなコンプがかかったギターの音とかがすごく好きで、TOTOとかクリストファー・クロス、REOスピードワゴンとか聴いてましたね。syrup16gをやり始めたころは、AORを3ピースのギター・バンドでやった感じでしたから」

――そのころは、いかにも〈ロック〉な音はあまり聴いてなかったようですけど、その後〈ロック〉として認識した音楽というのは?

「ポリスとか……ニューウェイヴですかね。スミスも好きでした。メロディーが曖昧だったんで、いいと思えるようになるまでには時間がかかったんですけど。ギターが歌っちゃってるというか、ジョニー・マーのギターはすごく大好き。もちろん、モリッシーの声もすごく好きで、ソロになってからの作品も好きで聴いてましたね。あと、プリンスは別格に好きでした」

――日本のアーティストで好きだったのは?

「唯一シンパシーを感じていたのは、バービーボーイズ。音がスカスカなんだけど、ギターのいまみち(ともたか)さんはスミスとかポリスとか好きなんだろうなって。ポップじゃなかったりする曲もあるんですけど、バンドとしておもしろいなって思う」

――自身がバンド活動を始めたことによって、日本のアーティスト、それもバンドへの興味も強くなったのでは?

「そうですね。エレファントカシマシとか……よく言われるんですけど、僕と宮本(浩次)さんは、タイプこそ違うけれど人種は同じだって。それから、ナンバーガールやZAZEN BOYS、bloodthirsty butchers……バンド以外では、KICK THE CAN CREWですね。メンタリティーとか僕とはぜんぜん違うんですけど、ぜったい80'sの洗礼を受けてる人たちでしょうし、洋楽の泣きの部分を知っている人だと思う。80'sの泣きの部分に共感するところが大きくて、言葉遊びとかもダイレクトにやれて、すごく前向きなことも言えるし、憧れも含めて大好きなんですよね」

▼ジャケット掲載順


プリンスの86年作『Parade』(Paisley Park/Warner Bros.)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年05月13日 11:00

更新: 2004年05月13日 19:09

ソース: 『bounce』 253号(2004/4/25)

文/久保田 泰平

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