インタビュー

スクービードゥーの誕生とこれまでの歩み

前期
 マツキタイジロウとコヤマシュウの、就学以前にまで遡る親交を軸に結成されたスクービードゥー。阪神大震災、地下鉄サリン事件など世紀末へのカウントダウンを実感させる暗い出来事が頻発した一方で、野茂のメジャーリーグでの大ブレイクなどにより新しい時代の幕開けも実感させた渾沌たる95年のことである。

 70年代末期から連綿と連なる東京モッド・カルチャーのひとつの座標であった〈日本語を黒く演る〉というアティテュードが、〈カルチャー〉に依らぬ純粋な音楽的行為として志高き若者らによって実践されはじめていた頃。スクービーは、その、かなり気の利いた実践者として登場した。ように見えた。しかし、あくまでも〈実践〉であり、彼らの目的地はそこではなかった。

 99年のシングル“夕焼けのメロディー”を皮切りに、彼らは確固たる世界観とプライドを持った表現者であることを示しはじめるのである。同年ファースト・アルバム『Doin' Our Scoobie』、2000年シングル“No.3”と、仁侠としなやかさと青い黒さを滲ませた、〈ならでは〉の作品を発表していく。のだが──。

後期
 当時の彼らはさまざまな問題を抱えていたのだが、それらを乗り越えていったのは偶然か必然か(才気による必然)。人見知りタイプだったコヤマはフロントマンたる自覚が爆発しステージにおける司祭としてふるまいはじめ、マツキはソウル・マナーの鎖を解き放ちみずからの作家性を躊躇なくレパートリーに込め、mobyの頭髪は日に日に膨張していった(ソウルの神に認められた者はパーマを当てずともアフロが育つもの)。そして、ナガイケジョーという決定力バツグンのU-23世代が加入したことをトドメに、バンド内に淀んでいたものが一気に浄化されたのだった。

 そうして2001年、彼らは〈現在・過去・未来〉がすべて詰まったアルバム『Beach Party』を発表、どこにいようとオレらはオレら、を体現するかのように活動の場をインディーからメジャーへとシフトする。

 1,000本ノック〈SOUL to SOUL〉(全都道府県を一気に廻るという過酷なツアー)を受けた2002年、コンパクト・アルバム『GET UP』、翌2003年アルバム『BREAK ROCK』を発表。彼らは〈ワナビー〉から真の〈スクービー〉に至る骨太な序章を完結させ、壮大な第1章を綴りはじめたのである。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年07月29日 12:00

更新: 2004年08月19日 23:51

ソース: 『bounce』 256号(2004/7/25)

文/山内 史