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インタビュー

岡村靖幸

あの強靱なグルーヴが、生悶えする愛のメッセージが、ついに、ついに、ついに、ついに、ついに、ついに堂々のニュー・アルバムとして舞い降りてきた!! 強烈無比な最強のポップ秘宝館は開店休業状態じゃないんだぜ!! 

岡村靖幸とは何か?


  例えばサッカー日本代表がワールドカップの予選を突破した時、僕らは〈もう絶対に無理なんだ、この国の運命として無理なんだ〉と思ったハードルをクリアしたことに狂喜乱舞した。遥か昔、大国相手に戦争をしかけて連戦連勝した時も、こんな小さな国の小さな僕らがあんなデカい国に勝っちまうなんてというエクスタシーに浸っていたと思う。キャバクラのねえちゃんとの店外デートに成功した時も、相手が仕事だとわかっていながらもうこのまま大変なことになっちゃうんじゃないかと体温が2度5分ほど上がることがあるだろう。音楽だってそうだ。THE MAD CAPSULE MARKETSやコーネリアスがイギリスやヨーロッパで本場のロックと対等に渡り合う姿、石野卓球が〈Love Parade〉のピークタイムにメイン広場でDJする姿――そこには〈絶対にあり得ない。この国のロックやポップ・ミュージックは本場のそれとは歴史や体力が違うものだ。追いつくことなんて許されないんだ〉という卑屈さを突き破り、いままでの概念がひっくり返るような興奮があった。でも、サッカーがワールドカップ本戦に行くよりも、コーネリアスがイギリスのプレスに賞賛されるよりも、あなたがキャバクラ穣との店外デートに成功した8年前よりも遥か昔から、岡村靖幸は既成概念を突破する音を鳴らしていた。それは〈僕らの音楽=邦楽が、本当のブラック・ミュージックに勝るファンクを鳴らして輝くことなんかできるはずないじゃないか〉という定説を打破するとびっきりのファンクに、この国特有の大衆的なメロディーとラヴ&ポップなメッセージを乗っけて鳴らすことだった。誰もが諦めていた〈欲望がギラギラ照らし出され、ミラーボールもアタマを抱えて逆回転する〉ようなとびっきりのへヴィー・グルーヴを、ただ一人岡村靖幸だけがこの国で鳴らし続けていた。もう、そりゃあ街中大騒ぎだった。カラオケ・ブースでは丸の内のOLが〈ねえ3週間 ハネムーンのフリをして旅に出よう〉とはしゃぎながら岡村ナンバーを合唱するわ、ディスコではテキーラと岡村ナンバーがあれば落とせない女はいないと言われるわ、本当に大変だった。これ、本当の話だ。それほど岡村靖幸のファンク・ポップはへヴィーでスウィートで、狂おしいほど青春しちゃっていた。

「10代後半でこの世界(音楽業界)に入ったので、この世界と学生時代しか僕は知らない。だからこの世界のことを歌うこともやぶさかではないんですけども、そういうの聴いてて楽しいだろうか? やっぱり学生時代というか10代の時のことのほうが楽しいんじゃないか、と……まだ何者にもなる前の状態だから、打算や駆け引きや計算や、そういうことがまだ立ちにくい。地位もなければいくらくらい自分が儲けるかなんてわかんない状況。そういった状況のほうが、感情のうねりとか困惑具合は強いだろうしおもしろい。だから僕はそういう歌を作るんじゃないですか」。

 そんな岡村靖幸の創作ペースがガタッと落ちたのは15年ほど前からだった。当時、映画の主演まで果たし、もうこのまま行く所まで行っちゃいそうだったヤスユキは、ベッドルームから突如出なくなってしまった。何故? 自分が求めるラヴ&ポップとこの世界のラヴ&ポップのズレを前に、ヤスユキはメッセージを放つ意識が萎えてしまったのだ。援助交際、コギャル、汚ギャル、テレクラ、パンティー売り………〈激しく健気な頃の夏を取り戻せ!〉と必死に歌いながらも、ヤスユキの純真な心は、みずからの想像を超えた禁断の世の中とどう向き合えばいいのか? 夜な夜なベッドの中で考えあぐねていたのであった。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年09月02日 12:00

更新: 2004年09月16日 15:33

ソース: 『bounce』 257号(2004/8/25)

文/鹿野 淳