Anthony Hamilton
長い不遇の時期が、彼の魂を磨き上げた。逆境がその歌に鈍色のソウルを与えた。そして、雌伏の果ての至福へ──ブレイクを果たしたアンソニー・ハミルトンが堂々の帰還を果たす。男は二度と待たせたりしないのだ!!
この田舎顔で勝負したかったんだ
93年にアップタウンと契約。その後MCAに移ってシングル“Nobody Else”を出し、ファースト・アルバム『XTC』を完成させるもお蔵入り。次に契約したソウライフはディアンジェロのツアーから戻ってみたら倒産……という苦難を経て、2003年にソー・ソー・デフからリリースした『Comin' From Where I'm From』でようやく成功を掴んだアンソニー・ハミルトン。人は気安く〈苦節10年〉と呼ぶが……。
「結構長かったよな(笑)。レコード会社の人間に〈確かにキミは歌えるよね。だけど……〉みたいに言われて、実際のディールまでには至らないパターンが多かった。でも振り返ってみると、それも現在に至るために必要な道程だったのかもしれないね。機が熟していなかったというか、その時はまだ俺の出番じゃなかったんだと思う」。
MCA時代の『XTC』については「苦しんでいる時期だったけど、歌詞的に優れた内容だった」とも。現在の人気ぶりからすると、今後アルバムが陽の目を見る可能性もありそうだ。そういえば2005年にはソウライフ時代の未発表音源などを集めた編集盤『Soulife』もリリースされたばかりである。
「初めはおもしろく思ってなかったけど、最終的に納得して許可を出したんだ。曲は99年とか2000年のものだから、ちょっと古いけど、俺の作品には変わりないしね。結果的にはいいアルバムに仕上がってるし、わりと評判いいんだよ。でも、自分では『Comin' From Where I'm From』が最初の公式アルバムだと思っているから……」。
そんなアンソニーが広く注目を集めはじめたのは2002年、ナッピー・ルーツの“Po' Folks”に客演し、同曲がグラミー賞にノミネートされてから。以後、現在に至るまで数多の客演活動をこなしているが、本人はこれを「俺のソウルフルな声が求められているんだろうけど、実際はサンプリングに高い金を払いたくないから俺が呼ばれてるんじゃないのかな(笑)」と、実に謙虚だ。そして逆に、彼自身のアルバムではゲストを迎えた曲は少ない。
「俺はずっと自分の出番を待ってたわけだろ? せっかくチャンスが訪れたんだから全部自分でやりたかったんだ。大勢のゲストで固めたりしないし、衣装をとっかえひっかえ着たりもしない。俺のこの田舎顔 (Nappy Face)、縮れ毛(Nappy Hair)、厚い唇(Big Lips)だけで勝負したかったんだ。曲のマテリアルもみんなストロングだしね。(後見人の)ジャーメイン・デュプリやLAリードとも話し合って、〈それでいいよ〉って納得してもらった。……俺、人が作った歌は歌えないんだ。自分で感じて言葉にした曲じゃないと感情移入ができない。だから今回の新作でも全曲俺が歌詞を書いてる。うち2曲は俺も共同プロデューサーとして参加してるし、ヴォーカル・アレンジもほとんど全曲やってる。全体の監修をしたってわけさ。楽器はやらないけど、ピアノでメロディーを弾いたりもする。指1本でね(笑)」。
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