ジュヴィナイルの軌跡を駆け足でチェック!!
95年に『Being Myself』をワーロックからリリース後、97年の『Soulja Rags』でキャッシュ・マネー入りしたジュヴィナイルの快進撃は、翌年の『400 Degreez』から始まった。ここからのカットとなった“Ha”が話題を呼んでヒットを記録、同曲のリミックスにジェイ・Zが参加したこともあって、レーベルの認知度は全米で高まることにもなった。そこからは他にも“Back That Azz Up”がシングル・ヒットとなり、ジュヴィは生え抜きのBGを凌ぐレーベルの看板として活躍することに。その後も『Tha G-Code』『Project English』と立て続けにヒットを放ち、並行してホット・ボーイズとしてもアルバムを残しているが、金銭トラブルでキャッシュ・マネーを離脱。それと並行して立ち上げていた自主レーベル/クルーのUTPとして、ワッコ、スキップを従えて(一時はGユニットのヤング・バックもメンバーだった)巻き返しを計った。が、インディーでの活動に制約を感じたのか、キャッシュ・マネーとビジネス上の和解を果たしてリリースした2003年の『Juve The Great』からは“Slow Motion”が初の全米シングル・チャート1位を獲得する大爆発。UTPとしてもフロア・アンセム“Nolia Clap”をヒットさせ、その健在ぶりを証明している。このようにジュヴィナイルは凋落することなく、長きに渡ってシーンのトップに立ち続けているのだ。
▼ジュヴィナイルのアルバムを一部紹介。
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2006年04月20日 17:00
更新: 2006年04月27日 19:46
ソース: 『bounce』 274号(2006/3/25)
文/高橋 荒太郎