インタビュー

Dirty Pretty Things

強靱なサウンドと胸を突くメロディーを耳にすると、〈リバティーンズ云々〉という説明が野暮に思える。この傑作を携えて、あの男は再度伝説を築いてしまうのか?

このバンドは〈それ〉とは違う


 思うに、カール・バラーという人はさまざまな形で誤解されているような気がする。ピート・ドハーティとの関係が崩壊していく過程についても私たちの知らない何かがあるだろうし、もっと具体的なところではリバティーンズにおいてカールが果たしていた役割もそうだ。ちょうどピートが刑務所やリハビリ・センターへの出入りを繰り返し始め、初期リバティーンズが機能しなくなった頃、熱心なリバティーンズ信奉者を自負する人が、〈残されたカールだけで何ができるだろうね。彼に曲が書けるの?〉と話していた。〈あんたはいったい、リバティーンズの何を見て何を聴いていたのですか?〉と思いつつ、それがカールにまつわる誤解をもっとも象徴的に表した言葉なのかもしれない。

 そういう声に対する言い訳を何ひとつしてこなかったカール・バラーという人は、クリエイティヴ面も含めて、ひとつひとつダーティ・プリティ・シングスの音楽で〈証明〉し、誤解を解く必要があった。だから、このファースト・アルバム『Waterloo To Anywhere』から生命力がそのままパンキッシュな勢いとして溢れ出ているのも、ホッと息をつけるようなスロウテンポの曲が一切なく、極上のメロディーと力強い演奏に裏打ちされた強靭なサウンドだけが畳み掛けてくるのも、ごく自然に納得できる。〈俺はここにいる〉〈こうやって音楽と向き合い続けている〉という真摯さが、ひたすら突き刺さるのだ。

「俺自身、いまもリバティーンズのことを誇りに思ってるんだよ。一方で、このバンドはそれとは違う新しいものだという自負もある。でもそれは、バンドを続けていく過程で証明していくしかないだろうね」(カール、ヴォーカル/ギター:以下同)。

 以前と少しも変わらない口ぶりでそう話す。もし自分が彼と同じ立場だったら、まわりで起こったあれこれのなかで人間不信や騒音に押し潰されて、ここまで変わらない〈自分〉であり続けられるだろうか。そう考えると、カールの精神力の強さには改めて恐れ入る。メンバーについて「気持ちのうえで本当に頼りにしている」と語った時の彼の言葉はさらっとした口調だったものの、その重みが切ないほどに伝わってきた。

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掲載: 2006年06月08日 14:00

更新: 2006年06月22日 19:47

ソース: 『bounce』 276号(2006/5/25)

文/妹沢 奈美