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インタビュー

カーニヴァルを推進してきたクリフの10年

  そもそもワイクリフ・ジョンのカーニヴァルが始まったのは10年前だ。97年のファースト・アルバム『The Carnival』(Ruffhouse/Columbia)は、プロモ・クリップにボブ・ディランを招いて話題となったフォーク調の“Gone Till November”など純然たるクリフのソロ曲も含まれていたとはいえ、ローリン・ヒルやプラーズ、ジョン・フォルテ、妹のメルキーらを含むレフージー・キャンプのオールスター作品という意味合いも兼ねていたに違いない。ただ、そこにセリア・クルーズやネヴィル・ブラザーズ、アイ・スリーズといった各界の大物を招いて、〈ヒップホップをベースにした世界音楽〉の具現化を開始したクリフは、フージーズの活動停滞に反比例してトータル・プロデューサーとしての株を上げていくことになる。

  その地位を確固たるものにした2000年、冒頭に“Where Fugees At?”なる曲を据えた2作目『The Ecleftic : 2 Sides II A Book』(Columbia)ではソロ・アーティストとして腹を括って(?)前作以上にエクレクティックな音楽性を推進。ハイチ人としてのアイデンティティーを核にしながらボブ・マーリーとピンク・フロイドを共存させるような野心的な試みを展開し、セネガルのユッスー・ンドゥールからカントリー界の大御所であるケニー・ロジャース、サモア系プロレスラーのロック様までゲストの顔ぶれも予想外の広がりを見せた。

  その路線は2002年の3作目『Masquerade』(Columbia)でも継続。父の死に触発されて自身の第2のルーツであるブルックリンを見据えたクリフは、ストリクトリーなNYヒップホップとディランのカヴァーを並列で聴かせ、後にT.I.の元からデビューする濃い口シンガーのガヴァナー、イスラエル出身のヒップホップ・ヴァイオリニストであるミリ・ベン・アリといった新進アクトも積極的に抜擢している。

  2003年、サンタナ仕事を通じて関係を深めたクライヴ・デイヴィスとの縁からすでにJ傘下に自身のレーベル=クリフを立ち上げていた彼は、みずからもJに移籍して『The Preacher's Son』(Clef/J)を放つ。ここではエレファント・マンやブジュ・バントンらをフィーチャーし、自身のレゲエ志向をダンスホール寄りにアップデートしてみせた。

  その頃にはプロデューサーとしての最初の旬もゆるやかに過ぎていくが、今度はMC/シンガーとして国籍も音楽カテゴリーも不問の客演を活発化させ、2004年には故郷のハイチ建国101周年を祝う『Welcome To Haiti Creole 101』(Sak Pase/Vik)をリリース。自己のルーツをしっかり見据えることによって世界中の音楽(家)に分け隔てなく向き合う姿勢を保つという意味で、そこでのルーツ回帰や翌2005年のフージーズ再結成といったプロセスは、さまざまな音楽が入り乱れるカーニヴァルの新しい門出に相応しい前フリだったとも言えるのではないだろうか?

▼ワイクリフのプロデュース/参加作品を厳選紹介!


ネヴィル・ブラザーズの99年作『Valence Street』(Columbia)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2008年01月17日 18:00

ソース: 『bounce』 294号(2007/12/25)

文/出嶌 孝次