Dir en grey
数々の荒波を乗り越え、世界に誇るべき日本のロック・バンドへと成長した彼ら。それでもなお攻めの手を緩めないのは、あなたにその音を届けたいからだ!
進むべき道が見えない時期もあった
いまから10年前のDIR EN GREYに似つかわしい肩書きは、例えば〈新世代ヴィジュアル系の代表格〉だったかもしれない。しかし現在、このバンドについて正確かつ客観的に紹介しようとするなら、〈世界でいちばんよく知られている日本のヘヴィー・ロック・バンド〉と形容すべきだろう。
昨年、世界12か国で総計120本以上ものライヴを行なってきた彼らは、すでに欧米でのツアーや巨大フェスへの出演も当然の如く体験済みだし、バンドに対する認知と支持も文字通りワールドワイドなものになっている。バンドの舵取り役でもあるギタリストの薫(発言:以下同)は、次のように語っている。
「もちろん海外で活動することは願望のひとつではありましたけど、昔の自分らにとってはまったく現実的なことではなくて。しかも元来、疑い深いところがあるんで、〈海外で人気があるらしい〉みたいなことを言われても、なかなか信じられなかったんですよ。だから2005年、初めてベルリンで単独公演をやったときの騒ぎ(3,500枚のチケットが完売。ヨーロッパ全域に留まらず、各国からのファンが集結した)には自分でも驚いたし。ただ、このバンドの場合、そこで浮き足立ってしまうようなことがないんです。実際、その直後にドイツの〈Rock Am Ring〉というフェスで大観衆を相手にした時には〈手ごわいな〉と感じたし、そこでバンドの結束がさらに固まったのも事実なんです」。
えらく謙虚な発言に聞こえるかもしれないが、こうした考え方と背中合わせのストイックな探究心や運命共同体めいた意識がこのバンドを存続させ、進化させ続けてきたのだろう。薫自身もかつて〈危機〉があったことを認めながらこんなふうに説明している。
「例えば取材とかに関しても、デビュー当時あたりはかなり芸能寄りなことを求められたりもしたし、実際、そういう売り方をされていたのも事実なんですよね。いまとなっては考えられないことですけど(笑)。もっと言ってしまえば、いつ解散してもおかしくない状況まで追い込まれたこともあります。そこで5人に同じ方向を向かせてくれたのが〈海外〉だったのは間違いないですね」。
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カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2008年12月04日 06:00
更新: 2008年12月04日 18:28
ソース: 『bounce』 305号(2008/11/25)
文/増田 勇一