インタビュー

Warren G(2)

Gファンクはオフィシャルになった

 「タイトル? そう、また振り出しに戻って始める、という意味だよ。いま、オレは すごくフレッシュな気分だし、デビューしたときのようなハングリーな心境なんだ。レーベルを移籍したのも大きいね。今回はまったく新しい気持ちで取り組んだ、まったく新しいアルバムなのさ。タイトルのアイデアはスタッフが出したんだけど、それはタイトだと思って一発で気に入ったね」。

自分で考えたんじゃないのね。で、“G Funk Is Here 2 Stay”という曲があるように、ウォーレンはその創始者である兄ドクター・ドレ(血縁はない)よりも誰よりも(Gファンク)という言葉にこだわりがあるんですな。そもそも(Gファンク)の(G)は、Original→OG→Gという意味のスラングが語源だから(もちろんGangstaの意味も含めてだろうけど)、ウォーレン流儀のファンクという意味なのでしょうが。

「俺がGファンクなんだ。ウォーレンGがGファンクなんだよ!」。

もちろん。で、3~4か月かけて生まれたというアルバムなんだけど、一聴して、前よりもハード・エッジでビートが立ってるんですけど……。

「当然、そういう意図はあったよ。これは新しいウォーレンG、新世紀のウォーレンGなんだから」。

新世紀! で、やっぱり話題なのが、Gさんにしては珍しく外部プロデューサーを迎えた“Lookin At You”。しかも、ビートを提供したのはドクター・ドレですよ。“ Game Don't Wait”のリミックス以来、プロデュースとしては初めてのドレとの合体ですけど、逆に言うと、なんでいままでいっしょにやらなかったの?

「確かにきちんと組んだことはなかったけど、それはこれまでお互いの契約の都合があったからなんだよ。オレはこのアルバムをもっとビッグにしたかったから、ドレとやらない手はないと考えてね。彼はグラミー賞を獲ったプロデューサーなんだぜ! 今回は2人ともずっとやりたかったコラボレーションで、それがとうとう実現したってわけさ。ドレはラップもする予定だったんだけど、それはレコード会社の横槍が入ってね……」。

それは残念。でもメチャメチャ格好いいんでOKよ! あと、ドレ以外に迎えられた外部プロデューサーは、スーパフライ。前作で“My Momma”を手掛けてもいたロングビーチ期待の俊英です。
 
「ヤツはスゴいプロデューサーだ! だから、俺のアルバムできちんとキャリアを積み上げてもらおうと思って起用したんだ」。

スゴいのはわかってますから、ご心配なく。彼による“Something To Bounce To”は電子音が哀愁を奏でるPファンキーな爆弾で、古くからの西好きにこそウケそうで す。さらに、Pファンクといえば、今回はジョージ・クリントンも参加。PとGのキング同士の共演はどうでした?

「ジョージとの仕事は素晴らしかったよ。彼からはこれまでに本当にたくさんのことを学んだ。今回、彼と組めたのは、彼がオレにファンクの修士号を与えてくれたようなものだよ。これで、Gファンクはオフィシャルなものになったんだ。なにしろ、元祖が認めてくれたんだから」。

おお。そのPファンクはもちろん、キャミオやデバージなど70~80年代のファンクを愛し、「古い音楽を聴いたほうが刺激を受けて、音楽に没頭したくなる」と公言する彼は、大ネタ使いでもまた有名です。過去にマナ板に乗せられたのは、マイケル・マクドナルドやボブ・マーリー、アイズレー・ブラザーズ……などなど数限りナシ。

「チャンピオンたちの音楽を聴くことで、新しいチャンピオンをめざせるんだ」という彼が、今回目を付けたのはスティーヴィー・ワンダー。“Village Ghetto Land”をネタにした“Ghetto Village”はこれまで以上のベタ敷きぶりが賛否両論必至な曲になってます。こういうことを素でやるから叩かれるんですよ、アナタは!

「あの曲が好き、というよりはスティーヴィーの音楽そのものが大好きで、彼の音楽全体に敬意を表したんだ。車で高速を飛ばしているときに、あの曲を耳にしてインスピレーションを受けてね。あのオペラっぽい雰囲気から、フックを取り出して、ハードコアなドラムを加えることで仕立て直せると思ったんだよ」。

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掲載: 2002年05月23日 22:00

更新: 2003年03月03日 22:45

ソース: 『bounce』 227号(2001/11/25)

文/轟 ひろみ