時代とともに見るUAの銀盤たち
『PETIT』スピードスター(1995)
スチャダラパーの95年作『5th wheel 2 the coach』(東芝EMI)
前年には、スチャダラパーがその人気を決定付け、翌年の〈さんぴんCAMP〉も含めて日本のヒップホップ・シーンが急速に認知度を増し始めた95年。UAのデビュー・ミニ・アルバムを手掛けたのは、やはりこの男、藤原ヒロシ。メジャーの領域にアンダーグラウンドの熱を誘発し、ステイタスとストリートの狭間に漂うポジションで強くわれわれに印象を焼き付けた彼が、あらためてトラックメイカーとしての才能を見せつけた。“HORISON”は現在もヘッズに高い人気を誇っている。
『11』
スピードスター(1996)
アラーキーによるジャケット(翌年2月発表だが)も麗しいビョークなど、ポップ・アーティストによるリミックス作品に、(新たな概念で)関心が強まっていたころ。この年、フィッシュマンズの大作『Long Season』にも参加したUAが、アルバムでは竹村延和、またシングルのカップリングではホフ・ディラン、KING3LDKらを作家/プロデューサーとして起用し、多様化していく音響に対する嗅覚の鋭さ、あらゆる音楽を貪欲に取り込もうとする姿勢を顕わにした。
『FINE FEATHERS MAKE FINE BIRDS』
スピードスター(1997)
サニーデイ・サービスをはじめ、前年あたりからの〈フォーキー〉というキーワードが、広範な意味でアコースティックなグルーヴやラグドな音質へのこだわりとして取り沙汰されていた。ライヴ・アルバムである本作では、キャロル・キング、ジェファーソン・エアプレインといった60~70'sスタンダードを数多く披露。漏らさず収録されたMCの生々しさとオーディエンスのリアクションからは、彼女の姿勢そのものへの期待が窺える。ECDは彼女の歌を“Big Youth”で描写した。
『AMETORA』
スピードスター(1998)
Hiromixやソフィア・コッポラなど、音楽に限らず〈女の子の視点〉を強調した表現が認知されたころ。しかしUAは〈ガーリー〉といった形容から距離を置き、むしろプリミティヴで母性的な力を放出していた。ライヴ・ビデオ『アメトラ '98』における五木田智央のイラストレーションは、逞しいUAというイメージを人々に印象づけている。UAも巻き込み、MISIAらの登場で始まったアナログ盤争奪戦は、クラブ・シーンの拡がりが端的に現れたトピックであった。
『turbo』
スピードスター(1999)
宇多田ヒカルのビッグ・セールスを象徴として、本格的なR&Bムーヴメントが到来。それも含めて、ダンス・ミュージックをオーヴァーグラウンドに持ち出したシンガーたちが躍進。birdがデビューし、小室哲哉はTRUE KiSS DiSTiNATIONを送り出した。UAもシングル“数え切れない夜の足音”でアッパーなダンス・ビートを炸裂させたが、その一方でLITTLE TEMPO、そしてこだま和文といったアーティストとのコラボレイトを継続し、日本におけるダブの高まりを示唆した。