サンボマスター(2)
この3人でこそ、この表現
煩悶と憤怒の、な~んもいいことなかった90年代を過ごした山口の声掛けで、近藤洋一(ベース/コーラス)、木内泰史(ドラムス/コーラス)が集まり2000年に結成されたサンボマスターは、いま、求められているものを、もっともリアルな形で、いや、3倍返しくらいの過剰さで表現している存在だ。バンドの右側で、鋭角にギターを抱えMPを吸い取る勢いな動きを高速で繰り返しながら刺さる言葉をこれでもかこれでもかこれでもかと放ってくる山口のカリスマ性とクレヴァーさ(あるんですよ実にホントに)は、新しい時代の牽引者たる資格十分。だが、それ以上に、山口、近藤、木内の3人が織りなすトライアングルには〈この3人でこそ、この表現〉という説得力と必然性があり、各人が代役のありえない責務を全うしてて生み出される音にこそ、もんのすごい吸引力があるのだ。
「当時、僕が見た中でセンスがズバ抜けてた木内に〈俺と爆音で心中しよう!!〉って誘ったら、〈……じゃあ、死のう!〉って言ってくれて。ああ、コイツこそオレに待たれていたヤツだ、と。近藤くんはね、ベースとか弾いたことなかったんですけどね──音楽サークルって〈あそこのキメが間違ってたよね〉とか言うところで、〈キメなんてそんなんどうでもいい、どれだけムチャクチャ演れてるかが重要!!〉なんて思うヤツはだんだんドロップアウトしていくわけですよ。大学時代の近藤くんはそういう連中のリーダーで、金のないヤツみんな喰わせてやったり、電気代払えない後輩の代わりに払ってやったり、そういう人。大学時代の全然ウケなかった頃から僕を認めてくれてて、どしゃ降りの中を原付でカッパ着てライヴに来てくれたのは近藤くんだけだった。それで〈こういうバンドやろうと思うんだけど……ギターでもベースでもいいからやってくんない?〉って頼んだとき、〈じゃあベースやるよ〉ってそのまま10万のベースを買ってきてくれて。10万って、すごい決意の表れじゃないですか? それで始まって、最初に音を出したとき……そのまま解散してもいい!ってくらいカッコよかったですよ、もう、すべて。アルバート・アイラーじゃないけど〈針を落とした瞬間に終わった〉って感じ」(山口)。
初期衝動をいかにキープするか?がロックンロール・ミュージックの優劣を決するひとつの絶対条件だが、サンボマスターがいま出している音はおそらく、3人が初めて出した音と、本質はなにも変わっていないのだと思う。もっと言うと、この3人で音を出す以前、溜まり場であった近藤宅にあった彼ら独自の〈文化〉こそが、すでにサンボマスターの〈歌〉だったのでは、とさえ思う。
「友達が入り乱れていた近藤くん家にはそこ独自のCD文化とかがあった。URCとかいっぱいあって、加川良、遠藤賢司、なぎら健壱……そんなCDにビリビリやられちゃってた。すげえカッコよかった……でも当時は、カッコ悪いとされてたんでしょうけど。その頃、最強不況だからTVでも深夜番組やってなくて、映画をやってるんですよ。スティーヴ・マックィーンの「ブリット」とか松田優作の「蘇る金狼」とか、みんなで観るんですよ。だからどんどん、みんなに同じ文化、衝動が積み重なっていって。でも、俺たちは隔離されていると思ってたら、だんだん世間が優作ブームになって来て……いつの間にか俺たちは先を行ってしまったのか!? そんなはずはねえだろ!!って」(山口)。
サンボマスターは、世間の風潮に迎合しない(ある種の)エリート集団であった〈近藤宅〉の代表メンバーなのである。そりゃ強い。世の中にいくらでもあるのに一向に世に打って出る気配のない〈○○宅〉との違いに思いを馳せれば、サンボマスターの3人が無意識に過ごした時間の濃密さ・衝動の深さ・3人の阿吽の呼吸が窺えるというもの。
「(新曲の作曲は)もう急に始まるんです。次の日ワンマンだからライヴの曲練習しようってやってると、気付くと(山口が)新しい曲作ってるんですよ」(近藤)。
「突然、全然知らないギターのフレーズとか弾きはじめて」(木内)。
「僕が作詞/作曲とか言ってますけど、2人の個性がないと僕は曲は作れない。そもそも、ワー!!って音出してるときに〈欲望を出したいわけ!〉って言っても、この2人じゃないとわからないと思う。〈ここでブレイク!!!〉って言っても、ブレイクの方法は何通りもあるけど、木内は、1/3は完全にオレの好きなブレイクをやってくれる。それひとつに時間をかけるヒマがあったら、僕は、逃げてしまう〈想い〉を追い掛けたい」(山口)。
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