インタビュー

RICO RODRIGUEZ

伝説のトロンボーン奏者が日本人アーティストと共に新作を完成させた。レゲエ界を飛び越えてあらゆる人から愛されるリコとは、いったいどんな人物なのだろう?

ハートのある音楽をプレイしたい


 「ジャマイカにいる頃はお金にはならなかったけれど、友達やパブリックが応援してくれたことがすごく励みになったし、そんな仲間の役に立てたり、みんなに自分が演奏して吹き込んだものを聴いてもらえることがすごく嬉しかったんだよ」。

 「モンテゴ・ベイあたりでお金のため、観光客相手に演奏をするミュージシャンもいたけれど、僕はお金ではなくハートで演奏したかったから、ストラグルがあっても違う道を歩いて行こうと決めたんだ」。

 これは、遥か昔、60年代初期にリコ・ロドリゲスというトロンボーン奏者がジャマイカでミュージシャンとして演奏を始めた頃の回顧談と、そして自分の音楽の表現の場を求めて単身イギリスに渡ったことに対する心情と決意を語った言葉だ。

「当時(60年代初期)ワレイカ・ヒルに集まってセッションしていた仲間たち、ドン・ドラモンドやトミー・マクックやジョニー・ムーアは、〈イギリスになんか行くな〉と、僕がジャマイカを離れることをとても残念がってくれた」。 

 仲間の名前を聞けばおわかりだと思う。リコ・ロドリゲスという人はスカタライツと呼ばれる伝説のグループを結成していくミュージシャンたちと、ワレイカ・ヒルのラスタファリ・コミューンで「学校では教えてくれなかったフリーな演奏」を繰り広げていた人なのだ。仮に彼が仲間たちの引き止める声に応じていれば、カウント・オジー(ラスタファリ・ミュージックの心臓音ともいえるアフリカン・チャント・ドラム/ナイヤビンギ・ドラムのマスター)やスカタライツのレコードの中で、リコのプレイを聴くことができていたはずだ。

「ドン・ドラモンドは僕の先生みたいな存在でね。16歳くらいから彼に誘われてワレイカ・ヒルに行ってはセッションを繰り返していたんだ。スカタライツのメンバーの多くは、みんなそのコミューンに集っていた仲間たちだから、スカタライツの音楽にラスタファリ・ミュージックに通じるフィーリングがあるのは当然のことだよね」。

 そのままジャマイカに留まっていれば、かなりの確率でスカタライツの創立メンバーの一員として違うキャリアを積み重ねていったはずのリコ。そんな彼が、みずからの信条〈ハートのある音楽をプレイしたい〉を貫くためにイギリスに渡った頃のことへと話を進めよう。

「希望に燃えてヤル気満々だったけれど、そこには厳しい現実が待っていて、なかなかチャンスがなかったんだ」。

 当時のレコーディング作品として『Brixton Cat』というアルバムがリリースされていたりもするが、「アレはあくまでもバッキング・トラックとしての仕事であり、自分のコンポジションは含まれていない。だから正確には僕のアルバムとは言えないんだ」というこだわりを持っているようだ。そんなロンドンで最初の夢が破れかけた不遇時代、彼のモチベーションを支えていたのが、「ジョージー・フェイムと彼のバンド(ブルー・フレイムス)とのクラブでのセッション」だったという。

「リズム&ブルースやロックンロールをメインに演っていたフェイムに、ドン・ドラモンドから学んだメロディーをレクチャーしたんだ。彼がスカを学んだのは僕をとおしてなんだよ」。
 スペシャルズとの70年代末のコラボレーション(リコ本人は「正式メンバーとして迎え入れられた」と語っている)を遡ること10年以上前のことだ。そして、ここでいきなり、現在のリコの活動に話を飛ばせてもらおう。

「いまはジュールズ・ホランドがやっているTV番組のハウス・バンドでトロンボーンを吹いているよ。彼は僕のプレイをとても気に入ってくれていてね、〈(4人いるトロンボーン奏者の中でも)リコのプレイはハートがあって最高だよ〉と言ってくれるんだ」。

 フェイムとホランド。年齢こそ離れているものの両者の音楽が発するフィーリングはとても近いものがある(両者はジャズやリズム&ブルース、そしてスカをポップ・ミュージックの中に、とてもスマートかつ愛情たっぷりに採り込んできた人たちだ)。きっと彼らは、リコの音楽の根底にいつも流れているジャズと共通する自由な創造の精神や、音楽をハートでプレイすることの歓びみたいなものに感応している人たちなのだと思う。タイプはやや異なるけれど、スペシャルズのサウンドだってリコの音楽が持つ人としての温もりみたいなものから大きなインスピレーションを得ているものだということが、アルバムをよ~く聴いてみればわかると思うのだ。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2006年06月29日 23:00

更新: 2006年07月24日 22:03

ソース: 『bounce』 277号(2006/6/25)

文/鈴木 智彦