Frankie J(2)
ただのバラディアーだと思われたくない
「アルバム・タイトルの〈Priceless〉っていうのは、オレにとって凄く深い意味のある言葉なんだ。いろいろな解釈ができる言葉だしね。例えばオレの人生そのものもプライスレスだと言えるし、恋愛もプライスレス、歩んできたキャリアにしてもそうだよね」。
昨年のセカンド・アルバム『The One』が大ヒットを記録し、名曲“Obsession(No Es Amos)”の快進撃でその名をさらに広く認知させることに成功した彼は、メキシコ生まれ、カリフォルニアはサンディエゴ育ち。2003年に『What's A Man To Do?』でソロ・シンガーとしてデビューし、そこから“Don't Wanna Try”がヒットを記録。同年にベイビー・バッシュの大ヒット“Suga Suga”でフックを歌ったことをきっかけに大きく注目を集めたのは衆知のとおりだが、その前は人気グループのクンビア・キングスでリード・シンガーとして活躍していた。とはいえ、そこに辿り着くまでにはカナダのダンス・レーベルと契約するもシングルをリリースしただけに留まったり、その後移ったH.O.L.A.(ジェリービーンのレーベル)でもアルバムが出せずに苦悶したということもあった。そういった経験を、彼はいま改めて〈Priceless〉という言葉を通じて伝えようとしている。
「オレにとってのキャリアは音楽だからね。それに値段なんてつけられないよ。お金には変えられない〈かけがえのないもの〉という気持ちでこのタイトルを選んだんだ」。
そんな思いが込められた今作だが、まず注目なのはやはりリード・シングルの“That Girl”だろう。マニー・フレッシュ+カミリオネアとの共演で見せる、いままでとはまた違った表情が新鮮なヒット・トラックだ。
「意外だろ? そういうのが狙いなんだ。いつもと違うことをやりたかったし、ファンが予想していないようなことをやりたかった。ただのバラディアーだと思われたくないからね。マニー・フレッシュやカミリオネアといっしょにやるのは、オレにとってもちょっとした冒険だったけどね。これはマネージメント側のアイデアなんだ。おかげでいままでにはなかった新しいヴァイブを生み出すことができたと思う。ラジオでも評判が良くて、よくかけてもらってるし、凄く上手くいったと思うよ」。
そのマニー・フレッシュをはじめ、『Priceless』は強力なプロデューサー陣で脇を固められている。お馴染みのハッピー・ペレスやブライアン・マイケル・コックスが前作に引き続いて参加しているほか、同じラティウム所属のプレイン・スキルズも2曲で腕を振るう。“Never Let You Down”にはレイジー・ボーンとクレイジー・ボーンが参加したり、“Top Of The Line”では112のスリムと美声を競い合ったり。さらにはビリー・アイドル“Eyes Without A Face”ネタをマイク・カレンが爽やかに用いた“If He Can't Be”や、DJクルーが手掛けたシックなミディアム“Say Something”など、前作以上にヴァラエティー豊かな曲群が並ぶ。先ほどの発言じゃないけど、今作の充実ぶりを前にすれば、もはや誰も彼を〈ただのバラディアー〉とは思わないはずだ。しかしながら、これまでバラード・シンガーとしての彼が高く評価され、支持されてきたことは事実だし、バラードを歌う時にその魅力が一段と煌くことをいちばんよくわかっているのは彼自身なのだろう。ニーヨのペンによるスターゲイト・プロデュース曲の“Hurry Up”以外の全曲ではフランキーがみずからソングライティングを担当しており、なかでもナイーヴで叙情的なヴォーカルがひときわ輝くセルフ・プロデュースの“Daddy's Little Girl”はその煌めきを証明してくれるだろう。ひとりのR&Bシンガーとして確実に旨味を増してきている彼にはもう〈ラティーノ云々~〉という枕詞は必要ないのだ。
▼フランキーJが参加した作品を一部紹介。
- 前の記事: Frankie J
- 次の記事: Frankie J(3)
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2006年12月07日 20:00
更新: 2006年12月07日 21:29
ソース: 『bounce』 282号(2006/11/25)
文/佐藤 ともえ